91.神戸市北区山田町東下の道標

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神戸市北区山田町東下5 県道85号の丹生神社石鳥居東40m四辻を南に90m、民家突当り三ツ辻を東に100m、
あぜ道が東に分岐する三ツ辻の東部に北西を正面に建つ
山型角柱 56x22x18p(頂高3p)(龕部19x15x-3p、枠巾3p)(像部18x肩9x2p、顔5x5x2p)(蓮華座2x14x3p)
N34.762537 E135.117113


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北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│     右 ひやうこ         │
│(座像)      道         │
│     左 ありま          │
└――――――――――――――――――――┘
(『神戸の道標』は「大師座像」とする)

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│…四國供養同行五人           │
└――――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 安政五午八月吉日           │
└――――――――――――――――――――┘
(『神戸の道標』は「安政五年八月吉日」とする)


(安政五年(戊午)八月1日とすると、西暦1858年9月7日火曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbX3)
(同書には移設に関する記述がなく、書きぶりを見ると元位置のままとして受け取れる。明治の地図でここを見ると、
 東西に通る道は「湯の山道」ではなく、現県道85号辺りを通る道が東下集落から衝原に達路以上の道として描かれ、
 これが「湯の山道」であったと想像される。ではこの道標のある道はどこへ続くのであろうか。
  先ず東西の道から、東は東下七社神社の鳥居のある村中から出て、道標を過ぎ西へ向うと西下集落を過ぎて、南の
 谷沿いを遡り山田町小河や西区押部谷町木津に続いている。
  次に、道標から分岐して南に向かう道(ハイキング記事等の藍那古道か)は南東の丘に上り鞍部あたりで二又に別
 れ、西寄りに進む道(藍那古道か)は藍野小学校辺りに出ている様に見える。鞍部から下る東寄りの道は神田川沿い
 に出て長坂山の西を越え、その後二手に分かれ西よりに藍野の東へ出るものと、南東の西小部方面に出る道(多分兵
 庫への主街道)が見える。
  これを天保の国絵図で見てみると、東下村の二ヶ所から、二本の道が南東と南西に出ている様子に一致するように
 思われ、道標から西への道は西下村を通過し「池之内谷」から国境を越える道と出来、南東へ向う道は東下村の中央
 から出て「烏原村」から旧湊川沿いに兵庫津に至る朱書きの道そのものではないが、その道に短絡する道であったと
 深読みすれば、当時は主要な辻で有ったように思う。
  尚、兵庫へ向う人は湯の山道を西から来ることが多いと思われるので、そこから此処への案内が欠かせなかったと
 思われるが、現在は残っていないようである。建っていた位置は、県道85号北側の丹生神社石鳥居から東へ40mの四
 辻であったと想像する。この道標と同じ案内だったであろう。
  国会図書館「五畿内志」にある摂津国の『官道』の項に「烏原谷越」とし「兵庫至西下三里」とあり、続いて
 一行目「歴烏原谷又自兵庫至下谷上三里」
 二行目「暦天王谷故曰天王谷越」としている。
  天王谷越えは東小部を通る現国道428号(有馬街道)と思われるので下谷上へ出て問題はないが、烏原谷の道とは
 別経路であると思う。漢文に素養が無い為、烏原谷越が天王谷越と同じものか、二本の別の道を記したものか理解で
 きないでいるが、多分別々の道であろう。
  依って、この道標の「右、ひやうこ」は国内官道の「烏原谷越」道を案内するとしたい。)
(北西面の像を『神戸の道標』は「大師座像」としているは「四国供養…」から弘法大師としたものであろうか。
 大師像については「三田市天神2の道標」に少し述べています。)
(『神戸の道標』では、南西面の施主と思われる部分を「…同行二人」としていますが、「…同行五人」の様で、又、
 北東面の紀年部分「安政五年…」は「安政五午…」、即ち「年」ではなくこの年の干支「戊午(つちのえうま)」の
 「午」と刻まれているとした。)
(北西250m「東下26−1の道標」がありますが、寺への案内が主で関連は薄い。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 左奥、東下集落中へ  左奥、西下集落中へ  右、西下集落中へ
 右、藍那方面山道へ】  正面民家後方に鳥居】  左、藍那方面山道へ】

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【4.道標北東面 【5.道標北西面上部 【6.道標南西面
 紀年部分は  摩耗が激しいが  「四国…」の上にも
 非常に読み難い】  大師座像らしい】  何かあるかも】

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【7.道標北東面上部 【8.道標北西面下部 【9.道標南西面中部
 「安政…」  「右 ひやうこ」  「四国供養…」
 と読める】  「左 ありま」】  と読める】

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【10.道標北東面中部 【11.道標から南東を望む 【12.道標南西面下部
 「…五午八…」  正面右寄りの鞍部を越え  「…同行五人」
 「年」でなく「午」】  神田川ぞいの道へ出る】  と読める】

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【13.北区南部の道標】
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