神戸市北区山田町小部北ノ谷76 県道16号北の谷交差点北西の杉尾神社境内の南部に北を正面に建つ
自然石風角柱 71x28x23p
N34.732724 E135.14256




北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 西小部 │
│すく 丹生山 │
│ 施主 宇七良 │
└――――――――――――――――――――┘
(解説板は「与七良」とある)
西面
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│すく 大山寺 │
└――――――――――――――――――――┘
南面
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│すく 兵庫 │
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東面
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│すく あり満 │
└――――――――――――――――――――┘
(「満」は変体仮名「ま」で「有馬」)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未掲載)
(案内先の補足。「有馬」は有馬温泉として特に必要ないと思いますが北東に進み有馬街道に合流します。次の「兵庫」
は近世の兵庫津でこれも説明は不要かと思いますが南東に進み有馬街道に出て南進となる。三番目に「大山寺」は現
在の神戸市西区伊川谷町前開224にある「太山(たいさん)寺」と思われ方角的には南西にあたり、取り敢えずは
白川へ出るものと思う。四つ目の「丹生(たんじょう)山」は北区山田町坂本にある「丹生神社」のある山で、神社
或いは明要寺を示すものと思われ、ここからは北西に現在の山田町東下を目指したものと考えます。)
(道標南に解説板が立ち、その内容を下部に載せておきます。
それによると移設は間違いなく、元位置は「今草辻」とあり「Yahoo」地図に山の街駅北に字名としてあるが、こ
のあたりには現在の地図に至るまで目立った辻は無さそうである。そこで、案内が一致する点を明治の地図で探すと
二点あり、一点は現在地点の南東交差点でここなら近接移設となり元位置に戻った事になり移設の経緯と違うように
思う。そこでもう一つの候補が神社から北北東1.2q辺りの鞍部に四辻が見え
N34.741709 E135.148041
神戸市北区甲栄台3丁目4−10(神戸北警察署の北)あたりと想像でき、過去の様子は一切しのべないが、南西の
小部峠から北西の山田町中村への道と、南西の西小部から北東の有馬街道に今の山の街駅を通過し接続している。
ここに現北面が南東に面して建っていたと出来る。又、案内の「すく」が四面にあるので、建物や崖等が無い辻で
あったと思われ、地図上の鞍部のX字型の辻に置かれるにふさわしく見える。
尚、解説板にある「古道徳川道」の始まりは神戸市のHPによると「1867年の開港に合わせ…突貫工事で造られた…」
とあるように明治直前の事で、この道標が近世(江戸時代)の作であるとすれば、この文言はあまり意味を持たない。
加えて上記の想定元位置にあったものであれば、徳川道は南1qほどに離れて通っていたと思う。
又、この辻は昭和42(1967)年改測の地図までは存在するが、昭和52(1977)年改測地図で甲栄台三丁目と宅
地化されほぼ現状となり消滅している。)
(北西方面に現在不明の「山田町原野字休松の道標」があったと思われ、南西の兵庫方面には少し経路を外れるが
「山田町小部の道標」が今も残る。)
(施主の名前を解説板では「与七良」としているが、「ウ」カンムリが見えるので「宇七良」と読んだ。)
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【1.杉尾神社を西に望む |
【2.道標を南東に望む |
【3.道標を北西に望む |
左右、県道16号 |
灯籠左に当道標 |
右(北)奥に本殿 |
北ノ谷交差点の北西】 |
左奥(東)東小部へ】 |
背後境内南は石垣】 |
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【4.道標東面拡大 |
【5.道標北面上部 |
【6.道標西面拡大 |
「すく あり満」 |
「すく丹生」 |
「すく 大山寺」は |
直、有馬と読める】 |
丹生山は北へ】 |
太山寺であろう】 |
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【7.道標北面左下部 |
【8.道標北面下部 |
【9.道標北面右下部 |
「施主宇七良」 |
「丹生山」の左右に |
「西小部」は |
と読んだ】 |
住所と施主の名前】 |
当神社の近辺】 |
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【10.道標南面拡大 |
「すく 兵庫」は |
兵庫津であろう】 |
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【11.北区南部の道標】 |
【解説板】
道標の左後(南)にほぼ接して建つ。もう少し離してほしい。
土地カンのある人には分るのかも知れないが「今草辻分岐点」なる元位置が同定出来なかった。

古道徳川道の小部村と原野村の境界
今草辻分岐点に標石として西小部村の
住民、与七良氏が建立、昭和三十六年
山の街団地の造成中不明、
昭和五十七年現在の甲緑小学校北側の
空地で上谷上の酒井利夫氏が発見
寄贈の申し出に依り當神社境内に
保存文化財として建立。
平成四年三月六日
杉尾神社建設委員会
注)山の街団地は現緑町7丁目辺りと解釈した。甲緑小学校もそこにある。小部・原野村境界は不明。
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