30.神戸市灘区摩耶山仁王門前の道程標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市灘区摩耶山 旧天上寺仁王門南東前に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 85x18x17p(頂高3p)
N34.728861 E135.20709


写真iimg3255

写真iimg3256

写真iimg3258

写真iimg3259

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│   是より            │
│道程標 ケーブル  六丁      │
│       まで         │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│大正十四年七月吉日         │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│大坂今福城東巡航船合資會社     │
│   新堂庄太郎          │
└――――――――――――――――――┘


(大正十四年は西暦1925年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(方向を示さないが目的地を明示するので丁石と同様のものであろう。「六丁」(654m)の表現は、行政側の建てた
 里程標「東灘区御影本町2の里程標柱」等とは少し雰囲気が異なっている。
 建っている向きが進行方向に向いていないのは、移設等されたことによるのか、宣伝を主目的とした為であろうか。
 距離的には現在の地図上で550m程になり、急坂部の細かい曲折を考えると6丁で問題はないと思う。
  尚、この石以降に同施主の銘を持つ丁石が「上野道ケーブル参道」に2丁を除き「1〜5丁」の丁石があり、丁石
 のゴールに当るものであろう。この間には古いタイプの丁石は見当たらない。)
(神戸すまいまちづくり公社のHPに、大正14(1925)年に摩耶鋼索鉄道(株)により高尾駅、摩耶駅間に『摩耶ケーブ
 ル』開業とあり、昭和13(1938)年阪神大水害で運休、戦争や震災、企業の合併吸収等を経て今に至るようである。
 これからすると、新設されたケーブルに合わせて建てたものと思われる。)
(大阪市鶴見区のHPの区内に残る言い伝え「寝屋川の巡航船」の項に「大正3(1914)年10月に城東巡航合資会社が、
 大阪巡航会社の巡航船を譲り受け、天満橋−今福間を巡航。巡航船は、30人乗り…非常に人気があった。天満橋の
 野田屋の前から片町−鴫野橋−朝日橋−今福間を就航。後、今福−放出大橋−徳庵まで延長。昭和7(1932)年、片
 町線が電化、昭和9(1934)年から、大阪市バスが片町から今福・放出・徳庵方面へ乗り入れにより、廃業」とある
 ので、この道程標建設時には勢いがあったものと思われる。)

写真iimg3353 写真iimg3272 写真iimg3270
【1.仁王門を北西に望む 【2.道程標を北西に望む 【3.道程標を西に望む
 右手前に当道程標  「道程標…」  右端が当道程標
 門をくぐり天上寺へ】  と記すのは稀れ】  仁王門は再建か】

写真iimg3262 写真iimg3273 写真iimg3266
【4.道程標南西面上部 【5.道程標南東面拡大 【6.道程標北西面上部
 「大坂今福」までは  「是よりケーブル  「大正十四年」
 住所であろうか】  まで」を三行に書く】  と読める】

写真iimg3264 写真iimg3277 写真iimg3268
【7.道程標南西面下部 【8.仁王門の解説碑 【9.道程標北西面下部
 「巡航船合資會社」  写真には当道程標は  「七月吉日」
 「…庄太郎」は社長か】  写っていない様だ】  と読める】

写真gimg6513
【10.神戸市東部山岳部含の道標】

【上野道ケーブル参道の丁石】
 別項とせず、ここにまとめて載せるが住所は省略。

@.五丁丁石
神戸市灘区 ロープウェイ虹の駅の北西高尾大明神から50m参道谷側に北西を頭に横倒しに置かれる
尖頭型角柱 サイズ測定忘れ
N34.7273644 E135.2108004


写真iimg3586

写真iimg3588



写真iimg3591

上面
┌─―――――――――――――――――┐
│五丁                │
└――――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――――┐
│五四五、五米            │
└――――――――――――――――――┘

下面(写真無)
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――――┐
│大坂新堂庄太郎           │
└――――――――――――――――――┘


写真iimg3599 写真iimg3595 写真iimg3584
【11.丁石を北西に望む 【12.丁石の上面拡大 【13.丁石を南東に望む
 右端に当丁石  「五丁」  奥に下り左すぐに
 奥、峠茶屋跡へ】  と読める】  ロープウェイ虹の駅】

A.四丁丁石
神戸市灘区 峠茶屋跡下30m、ケーブル参道と上野道との合流地点の西5m、北を正面に建つ
尖頭型角柱 97x17.5x16p(頂高4p)
N34.727633 E135.209705


写真iimg3567

写真iimg3569

写真iimg3571

写真iimg3573

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│四丁                │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│四三六、四米            │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│大坂新堂庄太郎           │
└――――――――――――――――――┘


写真iimg3561 写真iimg3564 写真iimg3560 写真iimg3562
【14.丁石を西に望む 【15.丁石を南西に望む 【16.丁石を南東に望む 【17.丁石手前の地図
 左(南)上野道下り  後ろ、、峠茶屋跡  右(南)上野道下り  上野道とケーブル道
 丁石左上、峠茶屋跡】  右、仁王門へ】  奥、ケーブル虹の駅へ】  との合流点である】

B.三丁丁石
神戸市灘区 摩耶東谷の最上部のたわの手前(南東)60m、北を正面に建つ
尖頭型角柱 97x17.5x16p(頂高4p)
N34.7277126 E135.2086133


写真iimg3546

写真iimg3548

写真iimg3550

写真iimg3552

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│三丁                │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│大坂新堂庄太郎           │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│三二七、三米            │
└――――――――――――――――――┘


写真iimg3543 写真iimg3544 写真iimg3542
【18.丁石を西に望む 【19.丁石を西に望む 【20.丁石を東に望む
 奥、天上寺へ  右面に「三丁」  ほぼ平坦部分
 右手、摩耶東谷】  正面「三二七、三米」】  奥、下山方向】

C.一丁丁石
神戸市灘区 青谷道合流手前40mに南西を正面に建つ
尖頭型角柱 83x18x16p(頂高3p)
N34.728641 E135.207523


写真iimg3523

写真iimg3524

写真iimg3526

写真iimg3528

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│一丁                │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│一0九、一米            │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│大坂新堂庄太郎           │
└――――――――――――――――――┘


写真iimg3536 写真iimg3535 写真iimg3519
【21.丁石を北西に望む 【22.丁石を北東に望む 【23.丁石を南東に望む
 先の折返しを含め二度  「一丁」109m  奥、下山方向
 曲がると青野道合流へ】  と読める】  左上に青谷道合流地点】

写真iimg3360
【24.摩耶山丁石一覧(明治44年)
 廿二丁丁石とほぼ同時期の地図に
 現建立地点をプロットしたもの】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ