31.神戸市灘区摩耶山町掬星台西の道標

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神戸市灘区摩耶山町2−2 山頂バス停から舗装路を南へ70m、西へ偏向した道から南へ分岐する登山道を20m下った
三叉路に南東を正面に斜面に倒置される
(摩耶史跡公園北端の三権現社跡前から東へ分岐し約400m、掬星台西の鞍部直前の三ツ辻でもある。)
自然石 80x50x25p
N34.733417 E135.205332


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 ありま             │
│      みち          │
│左 やま…             │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(案内先であるが、当地に置かれたものであれば、右(北東)に登り鞍部に出て尾根筋を「有馬」に向かい疑問はない
 が、左に書かれた「やま」以下が少なくとも一字以上あるように見える。小さい字と見るなら「みち」とでき、摩耶
 山頂に向かう道を案内して良さそうであるが、中央下部の「みち」と同じつづりとなり重複が気になる。又、上部の
 字の大きさと同じと見ると「成」や「蔵」などのくずし字などにも見え、右側の大きな円弧状の線も説明が付きそう
 だが「やま成」なる言葉はなじみがなく、「山蔵」なら今でも残っていそうだが見当たらず不明としておく。
 現在の道は「摩耶山」山頂へ続くと思われるが未踏査である。
  尚、鞍部に出て尾根筋に行かず北に谷筋を下れば現在の案内標にもある「桜谷出合(徳川道)1.5q」とあるよう
 に谷上方面からの摩耶山天上寺への参詣道であったと考えて良いと思う。
 「北区山田町上谷上61の道標」「北区谷上東町の道標」にある「まや」は多分この道を案内していると思うが
 未踏査である。)
(建設年は不明だが摩耶山刀利天上寺は国立国会図書館デジタルアーカイブ『攝津名所圖會』. [11]のコマ番号48、49
 の絵や、同、コマ番号50の説明には、上野道の様子が載るが、北からの道は書かれていない。)

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【1.三権現社跡から東への 【2.鞍部直下の道標を 【3.道標を北東に望む
 分岐を北東に望む  北西に望む、右掬星台へ  奥(北東)鞍部へ出て
 掬星台に向け一本道】  左(南西)摩耶山頂へ】  ロープウエー駅、掬星台へ】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標から南東を望む 【6.鞍部から南東を望む
 左奥、摩耶山頂へ  奥、九十九折れしつつ  石灯籠左から下り20m程の
 5m先右は鞍部に出る】  南西、三権現社跡へ下る】  右斜面に道標がある】

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【7.道標南東面左部 【8.道標南東面拡大 【9.道標南東面右部
 「やま」の下辺りから  「右 ありま」  「ありま」」
 延びる円弧状は何か】  「左 やま」とした】  は間違いなさそう】

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【10.道標南東面左下部 【11.道標中央下部 【12.道標下面を望む
 文字にもみえるが  「みち」としたが  寝かされているおかげで
 傷であろうと思う】  左の弧状線と  本来なら見えない下面を
 
 かぶっている】  見ることが出来る】

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【13.神戸市東部山岳部含の道標】 【14.摩耶山丁石一覧(明治44年)】
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