16.神戸市長田区高取山町安井茶屋南の道標

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神戸市長田区高取山町103−13 安井茶屋南東の公設トイレ南の三ツ辻西部に南東を正面に建つ
(2022年3月時点、表参道から高神滝道への分岐は通行止め、南東80mに迂廻路あり)
地蔵型 72x15x12p(像31p、下部41p)
N34.676733 E135.133925


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│  苗…  右 かねたか      │
│(立像)              │
│      左 おたき       │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では長田区2)
(案内先は同書に「『右かねたか』はこれより参道を登った高取神社背後の頂上にまつられている金高神社をさし、
 『左おたき』は西へ150mくだった谷間の行場、高神滝を教える。」とあり、高取神社を目指す表参道から高神滝へ
 の分岐地点でにあり問題はないでしょう。ただし現在(2022年)では分岐する道は通行止めとなっており、南東60m
 辺りから南西に向かう道が迂廻路になっており、通行止め道の130m程先で合流している。)
(建設年は不明である。近世の作である、国立国会図書館デジタルアーカイブ『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号11
 の絵等を見ると、神撫山として遠望は載るが、名所としての記述は無く余り認知されていなかったとすれば、明治以
 降の可能性が高いのかも知れない。又石質からも風化に弱いと思われるが、よく残っており古くは無い事をうかがわ
 せる。因みに、立像右横下部に「苗」と読めその下部は読めないが、この細かな字が残る程度の摩耗である。
  現在に残る一連の丁石なども明治の末期の建立であり、その頃の作かも知れない。)
(尚、上書は「山上唯一の道標である。」とするが、「高取山町本社直下の道標」や、「金高稲荷下の道標」があり、
 後者はこの道標と同じく「タキ」を案内しています。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南東に望む
 右奥、高取神社へ  奥、高神滝へ(不通)  奥、下り中の茶屋へ
 左(南西)高神滝へ】  左へ下り、右は上り】  左、公設トイレ入口】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南東面上部 【6.道標南東面像部右
 地蔵型としたが  像の光背部は湾曲し  「苗」又は「描」の
 上部に像を刻む】  最上部は欠ける】  字がある下は「瀧」か】

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【7.道標南西面上部 【8.道標南東面下部 【9.迂廻路の分岐を西に望む
 光背上部欠損  「右 かねたか」  右奥60m程に
 背面はゆるく舟形】  「左 おたき」とした】  当道標が立つ】

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【10.神戸市西部の道標】
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