18.神戸市長田区高取山町金高稲荷下の道標

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神戸市長田区高取山町 高取神社本殿前展望台から南西60m、金高稲荷への階段下石鳥居の東に南を正面にして建つ
地蔵光背型 41x25x15
N34.675937 E135.130449


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│為先祖代々菩提           │
│(地蔵像)             │
│是ヨリ 左エタキ          │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│明治丗五年六…           │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(明治三十五年は西暦1902年である。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(「左エタキ」が「高神滝」を示すとするなら、当地に置かれている限りは、大灯籠に出てガレ場を東に下る道を示す
 と思われる。現状では「左へ」が西を指し荒熊神社から妙法寺方面になり違和感があるため移設又は設置向きが変わ
 っていると思う。回転させられたとすれば元は反時計回りに90度回転して置かれていたであろう。が、下部の台が大
 きく、上部に載る小さな当道標を考えると、祠が無くなったとするより他の場所からここに移した可能性が高い様に
 思う。それはセメントにより直接台に固定されている安直さが表しているとしたい。元位置に相応しいのは西5m程
 の現在の縦走路を示す十字型の案内辺りに東向きで置かれていたとするのは如何でしょうか。
  尚、明治の地図では南への道は描かれておらず現在の地理院地図でも高神滝への道は見えない。Webのハイキング
 記事等には大灯籠から東に下る道が有る様ですが未踏査です。)
(東に「本社直下の道標」があり、更に東の「安井茶屋南の道標」はこれと同じく「左 おたき」と
 している。ここからの移設もあるか。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北東に望む
 右端の地蔵が当道標  鳥居左、全山縦走路を  奥(北東)本社前へ
 左看板の赤矢印が滝へ】  左奥に妙法寺方面へ】  左の鳥居を上り山頂へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標北面拡大
 上部地蔵に対して  「為先祖代々菩提」  「明治…」
 不釣り合いな台座】  「是ヨリ 左エタキ」】  逆光で読めるか】

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【7.道標を南に望む 【8.道標南西部拡大 【9.高神瀧を北に望む
 右縦走路案内の辺りが  背部は船底風、南面は  突き出たパイプの上に
 元位置に相応しいか】  少し窪めて、浮彫り像】  「高神瀧」とある】

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【10.神戸市西部の道標】
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