105.神戸市北区山田町丹生山馬の背の道標

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神戸市北区山田町坂本字水井谷 丹生山の北、浦川山腹道の馬の背、の三ツ辻に北を正面に松の木に寄り掛かり建つ
「山田町浦川支流出合の道標」から南へ1.2q程か)
山型角柱 76x24.5x18p(頂高4p)(基部20p含)
N34.78882 E135.105941


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北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│       茂兵ヱ          │
│       義右ヱ門         │
│右 丹生山  伊兵ヱ          │
│     道 新右ヱ門         │
│左 山田   利三郎          │
│       要介           │
│       又七           │
└――――――――――――――――――――┘
(「郎」はくずし字「ら」のように見える)

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbW9)
(紀年銘はありませんが、下部に見える七名の名前から近世(明治より前)の作と思います。但し『神戸の道標』では
 「義右ヱ門」を「半右ヱ門」としている。)
(江戸時代の作としたので、天保摂津国絵図で行先の「左、山田」を探したが「山田村」が無い。
 現在の山田町のように広い地域を表したものとして、この位置からであれば福地、東下、坂本、衝原、辺りと思いま
 すが上記書の「左の道は「こもの辻」を経て丹生山の表参道にある地蔵の前に出る近道である。」の力を借りると、
 坂本の丹生神社宝仏殿に出る道に当ると思う。尚、近道としているのは「丹生神社を経由して」に対して言ったもの
 と思われ、淡河から山田へはこのルートしかないと出来る。尚、webのハイキング記事等から、「こもの辻」は帝釈
 山の西南西800m辺りの丹生山系縦走路上と思われる。
  前述の国絵図では、西に衝原から播磨国西下村まで、「くるしのたわ」経由で一里十一丁(5.1q)とし、東に福
 地村より播磨国行原村まで、「なげ町山」経由で一里二十五丁三十間(6.7q)と朱書きの道がみえるが、当道筋は
 描かれていない。)
(淡河より丹生山へ向うと「山田町浦川支流出合の道標」より約1.2qで当道標になります。
 その道標と高さを除き同じ大きさ、意匠で、施主七名も順番こそ違え同じことから、同時に建てられたと考えます。)
(丹生山参道に関しては「神戸市丹生山丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む
 奥直線的に丹生山へ  リュックのある地点から  20m先の三ツ辻風を
 左、山田道は未踏査】  北に折れ20mで北東へ】  北東に下り浦川へ】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標北面拡大 【6.道標北面上部拡大
 右後ろに登るのは  「右 丹生山」  「右 丹生山」
 「山」への道】  「左 山田」と読める】  「左 山田」、「道」】

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【7.20m先で丹生山道 【8.道標北面を上から望む 【9.道標北面下部拡大
 から南に山田道を  こちらは頂部に苔がなく  施主であろう
 見下ろす道は有るが】  山型が明確である】  七名の名前がある】

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【10.同時建立と思われる
 浦川支流出合の道標を
 北東に望む】

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【11.北区南部の道標】

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【12.丹生山参道概略図】
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