108.神戸市丹生山丁石一覧(2022/4〜2023/7一応調査終り)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。

 グーグルマップ「神戸市北区丹生山丁石」はこちら
写真iimg5190 写真iimg5194
  【丹生神社より表参道口を南望する、左右に県道85号           【丹生神社拝殿を南西に望む、拝殿奥に本殿】
   中央S字型に南山中に続くのが藍那への道か】
目次
 1.参道概要 【右は参道概略図】写真iimg5383

 2.各参道を巡る。
   1.表参道
   2.裏参道
   3.義経道
   4.北参道、浦川山腹道
   5.北参道、住吉神社道
   6.北参道、高泉寺跡道
   7.北参道、不動滝道
 3.表参道丁石詳細
 4.表参道丁石一覧
 5.北参道丁石詳細
 6.北参道丁石一覧
 7.義経道丁石詳細
 8.摂津名所図会、国絵図

1.【参道概要】
 丹生山(たんじょうさん)への参道として、南方面からの道に限ると、大
きく2本あり、一つは、神戸市北区坂本の県道85号の丹生神社前バス停西の
鳥居から登るものこれを表参道、もう一つが箱木千年家方面から山頂の手前
に至る道で、いわゆる義経道である。又表参道の十一丁丁石下30mより、
鉱山跡方面への林道を北に進み西に登る道を裏参道とするようです。
 一方北方面からの参道も幾筋かあり、東から浦川山腹道、住吉神社道、高
泉寺跡道、不動滝道としてみましたが丁石が残るのは丹生山北西部にある、
「くるし坂のたわ」の直下からの丹生神社東直下までのほぼ平坦な部分にし
かない様です。この「たわ(鞍部)」には上記の内、浦川山腹道を除く3経
路の合流点であり、登りの14丁過ぎと思われます。
浦川山腹道は6丁丁石の残る地点で合流しています。
 表参道の丁石の原点は本来神社と思われますが、現在の一丁丁石の位置か
らすると、拝殿(本殿の東)ではなくその東下にある社務所の前辺りと思わ
れます。
但し、明治の廃仏毀釈以前は「明要寺」が主であったとも思えるので此処へ
の丁石とすべきかも知れないが、現一丁丁石が明要寺跡を過ぎた地点に建っ
ており移設がないとすれば、丁石の示す先は「丹生神社」となる。
 尚、神鉄藍那駅北側に「丁石の予備軍」とされる石が立つようでこれも押
さえておきたいが未調査である。一方丁石の使い古しと思われる3,6丁石
が、上記社務所の石垣下に二本立て掛けてある。上部が遺失した為再利用出
来なかった為であろう。
 北参道の到達点(0丁)は、これも移設がないとして残る五丁丁石から見
て、神社拝殿ではなく、東下の二の鳥居前と思われる。表参道の到達点とは
一致しないようです。
(神戸市灘区高羽町にある丹生(にぶ)神社と混同を避けるためか「坂本丹
生神社」とするものがあるようです。)

写真iimg1388 写真jimg3600
【鳥居横の案内図】】 【鳥居額左上に神社が見える】

私の手に入れた地図では「丹生山」北部分が抜けており上記の様になっていますが、『今昔マップ on the web』では
シビレ山頂より東側は見ることが出来ます。
「丹生神社」の由緒は国会図書館の『山田村郷土誌』参照。
明要寺は『摂津名所図会』に載り、鎮守は「山王権現 牛頭天王」とある。

↑先頭 1.概要 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

 2.各参道を巡る。
【1.表参道】
当然表参道は現在(2023年)の道を進みますが、明治の地図とは少し変わっています。主な点は、
 1.25丁から23丁間が大きく西に迂回し距離が長くなっています。
 2.現13丁辺りから旧道は右岸(谷の西側)に渡り12丁に続きます。
 3.11丁から6丁迄旧道は今の様に南に迂回せず、九十九折れではあろうがほぼ一直線に西に登ります。
 となり概ね距離が伸びる傾向になります。これ等が何時改修されたか分かりませんがその都度丁石も移設されて
 いることは間違いないでしょう。尚、25丁から23丁の間は25丁が起点の石となる為動かし難く24丁丁石迄が遠く
 なっています。
では、順を追って見ていきます。
写真jimg3601 写真iimg1588 写真jimg3094
【@県道85より鳥居を北西に望む 【A二十五丁を北に望む 【B二十四丁を北東に望む
 鳥居右に参詣道石碑  中央座像の下  明治の地図では
 左平らな山上に丹生神社】  台石に刻む】  この辺りに道は無い】

写真jimg3127 写真jimg3167 写真jimg3194
【C二十三丁を北東に望む 【D二十二丁を北東に望む 【E二十一丁を北に望む
 二石が建つ  奥(北)神社へ  奥(北)神社へ
 手前は下部か】  道の右側に立つ】  道の左側に立つ】

写真jimg3232 写真jimg3270 写真jimg3292
【F二十丁を北に望む 【G十九丁を北西に望む 【H十八丁?を北に望む
 やせ尾根を過ぎて  奥(北)山頂へ  奥(北)山頂へ
 道の右側に立つ】  道の左側に立つ】  道の左側に立つ】

写真jimg3317 写真jimg3338 写真jimg3360
【I十七丁を北東に望む 【J十六丁を北に望む 【K十五丁を北に望む
 南西からの林道と合流後  深く埋まるか下部欠損か  北西面の「自丹生山…」や
 60m辺り、上部欠損】  奥(北)山頂へ】  願主辺りは読み難い】

写真jimg3389 写真jimg3415 写真jimg3444
【L十四丁を北に望む 【M十三丁を北に望む 【N十二丁を西に望む
 左は谷、道は舗装路  大日如来像を過ぎて  門下橋で沢の右(西)岸に渡り
 奥(北)山頂へ】  奥(北)丹生山へ】  斜面に多く埋もれる】

写真iimg2462 写真jimg3517 写真jimg3547
【O十一丁を西に望む 【P十丁を南に望む 【Q九丁を西に望む
 林道分岐から西30m  11丁から大きく南へ  尾根筋での転向点
 山道は橋を渡り南へ】  回り参道の右(西)側】  道の右(北)側に建つ】

写真jimg3895 写真jimg3926 写真jimg3951
【R八丁を北西に望む 【S七丁を北西に望む 【21.六丁を北西に望む
 北西にほぼ直線的に  左谷側に置かれており  右尾根側に置かれる
 登る参道】  違和感がある】  きつくは無いが登りが続く】

写真jimg3979 写真jimg4017 写真jimg4050
【22.五丁を北西に望む 【23.四丁を西に望む 【24.三丁を北西に望む
 蛇行後尾根北側山道の  少し下り出した  20m先やや右に当石
 谷(右)側に建つ】  参道の左(南)側】  手前左(南)へ下る義経道】

写真iimg5168 写真iimg5153 写真jimg4184
【25.二丁を西に望む 【26.一丁を西に望む 【27.一丁北横石を東に望む
 奥、一丁(109m)で  右石垣上に明要寺跡碑  「自丹生山…」とあり
 一丁丁石へ】  奥60mに二の鳥居】  何処かで建っていたか】

写真iimg5124 写真jimg4229 写真iimg5186
【28.二の鳥居を北西に望む 【29.石垣左前の石を西に望む 【30.社務所下を西に望む
 一丁からは60m程  下部に「丁」のみ残る  石垣に立掛けられた二基
 40m先石垣右社務所】  右は北参道へ】  「…三丁、…六丁」とある】

写真iimg5187 写真iimg5192
【31.0丁社務所前を北に望む 【32.拝殿を西に望む
 右から階段を上がり到着  社務所から更に階段を
 左、階段を登り拝殿へ】  西に登り正面にある】

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

2.【2.裏参道】起点は表参道の十一丁丁石の下30mの三ツ辻(延命地蔵)で表参道から分岐し、谷沿いを進み
北西から西に向きを変え頂上の北側で北参道に合流する林道の様であるらしいが、未調査。裏参道には五輪塔の上部だ
けが多数置かれているとする資料があり、もし埋っていなければ表参道の欠損丁石と整合するか見てみたい。
尚、私が「北参道」とした道を「裏参道」とする人もあるようですが、南方からの裏参道と御理解ください。

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

2.【3.義経道】参道の起点としては不明であるが、登山道としては、神戸市の「太陽と緑の道」コース18等
によるとサイクリングターミナルから、ほぼ北へ尾根筋を登り、表参道三丁丁石の東(き2-4-6標識地点)に合流する
道と思われるが、明治の地図を見ると該当する道がなく最近のものであろう。よく似たルートをとるものとして山田町
坂本の雫谷から登る道と合流する様ですが合流点は見つけられなかった。現在の地理院地図で丁石が置かれる場所を上
から辿ってみると17丁程度の距離になると思われ、表参道三丁丁石より事前にマーキングした地図を頼りに下った。
 途中、想定した8丁地点よりやや上に「従寺八丁」とする丁石が寝かされており、これから下はこの石を基準に歩測
で1丁毎に見当を付けて探してみたがこの一基以外見つからなかった。
 表参道三丁丁石の東20mの三ツ辻分岐(き2-4-6標識地点)より下方に向けて歩いた一部のみを記載します。
尚、八丁丁石を登って探す場合、下記写真の「水源かん養保安林」の看板を目印として下さい。表参道と比べ距離が短
い分傾斜は急である。
 尚、現八丁丁石から下は、上に述べたサイクリングターミナルへの道では無く、坂本の雫谷に出るルートを探すべき
である事が分かりましたが、未調査のままです。雫谷の進入口と思われる民家角には「近畿自然歩道」の標識が立ち
「丹生山」と出ていたのでここへ出るのが正解だと思います。

写真jimg4050 写真jimg4051 写真jimg4049
【@表参道分岐点を北西に見る 【A分岐点南東部標識 【B分岐点北東部の標識
 左(南)に義経道が下る  「→ 千年家」は南へ下る  義経道登りの正面に見える
 辻左右に標識あるも写らず】  「き2-4-8」は通報用呼称】  左(北西)折し表参道で神社へ】

下りの順に書くため、上記写真Aの千年家に向けて南東に分岐します。いきなり急勾配になります。
写真jimg4236 写真jimg4264 写真jimg4267
【C想定4丁辺りを南に見る 【D歩測8丁辺りを南に見る 【E歩測8丁から30m南の谷側
 き2-4-8地点から90m辺り  地図より実長は長いようで  (東側)に寝かせる様に置かれた
 尾根西側を下る、丁石なし】  歩測の八丁には無し】  八丁丁石を南に見る】

写真jimg4268 写真jimg4305 写真jimg4345
【F8丁丁石を北に見る 【G8丁からすぐ下の看板を 【H想定16丁辺りで登山口を北東に
 上面「従寺八丁」  振返って北に見る  見る、「つくはらサイクリングターミナル」
 左面「施主坂本らく」  説明に現在地の記号が有るが  から北東に登山道に入る
 右面「従是丹生山境内」】  地図上には印が無い】  100m程で左手に池がある】

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

2.【4.北参道、浦川山腹道】を見ていきます。起点を示す鳥居や参道入口碑等なし。
 谷筋道の起点を国道428号淡河町交差点の南90mにある変則五つ辻の「明治の道標」とすると、「六丁丁石」迄には
丁石は無いが、途中に道標が二基存在し丹生山を案内するのでこれを参道とした。六丁からは七丁、八丁丁石の残る、
西からの尾根筋道(丹生山系縦走路か、西に「くるし坂たわの道標」がある)と合流して北参道は一本化され、表参道
と合流する辻が目標到着点(0丁)になる様に思われます。
 上記の様に勝手に決めましたが、丁石が残るのは「シビレ山」の北側から帝釈山への分岐点の間に、八丁から五丁の
僅か四基しか残っていません。この四基は、尖頭型角柱で、梵字一字を上に書き、続いて「従寺X丁」とし側面に施主
が記されている。施主には多分住所の村「原野、坂本」と続いて名前が記され、名前の感じから近世の作のように感じ
られます。

写真iimg4918 写真iimg4919 写真iimg5355
【@国道428淡河交差点の 【A同左道標北面拡大 【B浦川を西に渡るうえやま橋
 南90m辻の道標を南に望む  「右 丹生山」  圃場整備で道は変わったかも
 右後を丹生山へ、左投町山へ】  「左 山田兵庫」】  橋を越え南東(左岸)へ登る】

写真iimg4927 写真iimg4928 写真iimg4931
【C防獣扉を三つ越え 【D浦川左岸から分岐点 【E小さな尾根の頂上で
 参道らしい道にかかる  参道には見えないが  右に折れて再び川沿いへ
 左、南東へ徐々に登る】  側溝を越え右に登る】  谷向の国道の走行音が聞こえる】

写真iimg4937 写真iimg4938 写真iimg4940
【F鷹尾(山か)とあるが 【G浦川に南西から流込む川 【H左記から10mで沢を渡り
 ここの地名では無さそう  に突当る地点、渡らず右へ  右岸を遡行する
 地理院地図にも無し】  火の用心札の16方向へ】  (左に川を渡り直進)】

写真iimg4943 写真iimg4993 写真iimg5001
【Iすぐに沢の合流になり 【J出合いの道標の 【K北側崖崩れ地点を
 道成りに左の沢を渡渉  「右 丹生山」に従う  こわごわ覗き込み
 正面三ツ辻に出合いの道標】  ここから登り道になる】  直ぐ後、左にもある】
 
 別項詳細あり  

写真iimg5012 写真iimg5073 写真iimg5206
【L馬の背の道標 【M始めての丁石、六丁 【N五丁丁石
 「右 丹生山」に従う  正面丁石、丹生神社は左へ  六丁から1丁
 「左 山田」は未踏査】  右、北参道尾根道の七丁へ】  距離的には問題なし】
 馬の背道標詳細  右端六丁の道標詳細

写真iimg5205 写真iimg5204 写真iimg5203
【O4丁過ぎから 【P3丁過ぎから 【Q2丁過ぎから
 振り返って見るが  振り返って見るが  振り返って見るが
 丁石は無かった】  丁石は無かった】  丁石は無かった】

写真iimg5202 写真iimg5124
【R1丁過ぎから 【S二の鳥居前、表参道との
 振り返って見るが  合流点を北西に望む
 丁石は無かった】  五丁から見て0丁辺りとなる】

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

2.【5.北参道、住吉神社道】を丹生神社へ。
県道の淡河郵便局西から、淡河町淡河228の住吉神社の西を通り、高泉寺跡道の合流部までは未調査です。今では、
「原池」の東を通る尾根筋の道は舗装された農道で歩きやすさの点で、この道が北参道の本道であったと想像します。
距離的には「シビレ山」の北側の「くるし坂たわ」下部を経由する分、浦川山腹道より長くなるでしょう。
高泉寺跡道と合流以降を載せます。

写真iimg5319 写真iimg5317 写真iimg5313
【@高泉寺跡道と合流部を北に望む 【A合流後150mの尾根から 【Bくるし坂のたわ道標へ一度下る
 右から住吉神社道が来る  北東を振返る  道標から左(東)が北参道
 奥左(北西)高泉寺跡道】  奥は18号鉄塔か】  道標を右に回り込み「たわ」へ】

写真iimg5279 写真iimg5274 写真iimg5272
【Cくるし坂のたわ下の道標を 【D「清浄水」碑と座像を 【E小さな谷部で南を向く辺り
 左奥(北東)に北参道へ  右手に見てすぐに南向きに  右手山側の炭窯跡下に
 右手前はシビレ山、戸田へ】  大きく廻り込む】  八丁石が寝かされている】

写真iimg5248 写真iimg5246 写真iimg5080
【F100m強で七丁丁石が 【G鞍部に達し、シビレ山から 【H100m弱で六丁丁石が右に見え
 左(谷側)に見える  下ってくる「太陽と緑の道」  左の道標後から、浦川山腹道が
 倒木を潜りすぐ縦走路へ】  との合流点の案内を北に望む】  合流し、以降北参道は奥へ一本】

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道  8.名所図会↓末尾へ

 2.【6.北参道、高泉寺跡道】
現在は廃道と思われ地理院地図に無し。Webの古い記事(2011年)を手掛かりに一応歩いたが、途中に道標が一基ある
だけでした。それを載せておきますが、踏査されることはお勧めしません。道に迷う事請負です。

写真iimg5353 写真iimg5346 写真iimg5339
【@取っ掛かりの池上部 【A高泉寺跡等道筋不明、略 【B谷転落の「左丹生山道」道標
 ここへは県道から永春寺前を  視界を得た道の西に空の  左が参道と思われるがこの
 西に登ると着くが  小祠を東に望む、奥右へ  直前がシダ、イバラ、倒木等で
 背後の柵は閉じられていた】  参道続くか?、背後は崖】  歩行困難を極める】

写真iimg5322 写真iimg5330 写真iimg5319
【B-1「左丹生山道」道標を 【B-2同左道標の 【C上手くいけばたどり着くか
 南西に望む、元崖上に  上面を見下ろす  住吉神社道(右→)との合流点で
 北東向きに立っていたか】  この近辺に分岐無】  来た道左奥(北西)を振り返る】

以降は住吉神社道へ続く。

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

 2.【7.北参道、不動滝道】を下から順に見たいのですが、地理院地図には「シビレ山」
山頂経由の道があるだけで、「くるし坂のたわ(鞍部)」の下の辻にどう出るかが分らない。未調査です。

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

3.【表参道丁石詳細】
 基本的に一石五輪卒塔婆型である。ものによっては上部が欠損し地輪部のみが残りあたかも角柱に見えるが、上部の
断面をみると円状の痕が残りそれと察せられる。大きさはほぼ揃っており、巾21x奥21pで高さは埋設状況が異なり、
マチマチであるのは仕方がないが、高いもので180p程になり大型と言えよう。設置場所はやはり山側に置かれ進行方
向の左右にはこだわらない。施主や紀年銘はほぼなく、正面は「従丹生山」に続き何丁とし、時々他面に「自丹生山」
と施主らしきものがあるがこちらは彫が浅い様に見える。ひょとすると追刻がされる前の面であるかも知れない。藍那
駅近所に残る石や、社務所下に立て掛けられた石等を詳細に観察すると、手掛かりが得られるかもしれない。
神戸市文書館「烏原古道、清盛の道、丹生山」に「この丁石は清盛の頃のものでなく、後世のものである。」としてい
るが年代は書いていない。
 『新兵庫史を歩く2』NHK神戸放送局編2013年刊に出自はないが「古いものには永徳三年(1383)の銘がある」とする。
確かに「永」と読めそうな石が何基かあるが、その下が「徳」と断定できるものが無い。又「二、三」のように見える
ものもあるがその下の「年」と読み下せる石は無い。「永」の付く年号は数多くあり、永享(1429)等も考えられ、永徳
一本に絞り込むのは難しいと思う。拓本などあるのであろうか。年の部分が読めないのに月日が読める石がある。
 表参道一丁の位置が元の位置のままであるとすると、到達地点(0丁)は、二の鳥居を西に越えた、社務所の前辺り
になると思う。ここへの階段下には丁石に用いられたと思われる角柱二本が立て掛けられていた。
 尚、追加調査で判明した点を付記する。一石五輪としたが「廿四丁」の上部を見ると、明らかに上部の石を載せる為
のほぞ穴が残っており、二石で出来ているものも有った様だ。又、「廿一丁」石も水輪部で綺麗に接着された痕が残り
この候補かも知れない。

写真jimg3102 写真jimg3226
【廿四丁の地輪上部 【廿一丁の水輪接着部
 径18p深4pのほぞ穴があり  下の地輪部と石質が
 上下二石の構成であろう】  異なっているかも】

 丁数以外の記述(多分願主と思う)を持つ石が少なくとも「廿四丁」「十五丁」「一丁」と三基ある。いずれも正面
で無く「自丹生山…」の下に三行で書かれているが読み取れない。紀年「永徳三年」とする上記資料を見つけたが、こ
れも確証はなく、追記の問題も含め気になる点でもあり何とかしたいものです。

写真jimg3115 写真jimg3377 写真jimg4165
【廿四丁の裏(北)面下部 【十五丁の左(北西)面下部 【一丁の左(西)面下部
 右側「…」  右側「願主…」  右側「…」
 中央「…十六…」  中央「永 ニ 十六…」  中央「永 □ 十一月十六日」
 左に「…」等か】  左側「住 田…」等か】  左側「箕谷 定□」等か】

写真jimg3617 写真jimg3760 写真jimg4169
【廿四丁の「永」とした字の拡大 【十五丁の「永」とした字の拡大 【一丁の「永」とした字の拡大
 右側「く」が左側に大きく被って  「永」とは違う気もする  活字の「永」とは違う気もする
 いるとするなら「永」かも】  「文」でもないし】  「未、朱」でもないし】

もしこれが「永」とし年号であるなら候補として少し上げてみる。(二文字目が何処かの見極めも重要)
a@時代  年号    開始   〜 終了
165:鎌倉 「永仁」   1293/8/ 5〜1299/4/25
199:室町 「永和」(北朝)1375/2/27〜1379/3/22
201:室町 「永徳」(北朝)1381/2/24〜1384/2/27
209:室町 「永享」   1429/9/ 5〜1441/2/17
224:室町 「永正」   1504/2/30〜1521/8/23
229:室町 「永禄」   1558/2/28〜1570/4/23
もしこれが、永徳であれば「灘区箕岡通4の十八丁丁石」文安四(グレゴリオ暦1447)年より古くなり、摂津国内で
「紀年銘を持つ最古の丁石(道標含む)」の称号を得る事になる。地元の方是非読み下しをお願いします。
尚、銘は持たないが「箕面市粟生間谷表参道の一丁丁石」等は宝治元年(西暦1247年〜)とする人もいる。

 現「廿五丁」から「廿四丁」、「廿三」の間が何れも1丁(109m)以上空いており、「廿四丁」が移設されている
事は明白である。明治の地図より旧道を想定すると、ほぼ直線的に北に向う道であったと想像でき、旧道を探したが見
つけられなかった。想定旧道で25丁から現23丁迄は2丁となり23丁は元位置と出来る。

写真jimg3076 写真jimg3090 写真jimg3086
【廿五丁から北を望む 【現参道分岐点を西に望む 【想定24丁辺りを北に望む
 現参道は50m先を西に折れる  現24丁はここから約1丁  この先は神社で行止り
 が元は直進していたと思う】  先にあり、不自然】  左竹藪中を通過していたか】

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

4.【表参道丁石一覧】
神戸市北区丹生山表参道丁石一覧
丁数位置正面方向道の左右丁数大きさ理論距離m
0丁N34.780622 E135.106596  拝殿東下、社務所前 

0

1丁N34.780244 E135.107385南西(南西面)
従丹生山一丁
(北西面)
        …
 自丹生山一丁 永□  十一月十六日
          箕谷      定□
一石五輪塔角柱
157x22x23p
水輪17x21x21p
火輪15x22x23p
風輪6x16x17p
空輪14x15x16p

109

2丁N34.779968 E135.108430南西中央(南西面)
従丹生山二丁
一石五輪塔角柱
116x21x20p
水輪16x20x19p
火輪15x21x19p
風輪x15x14p
空輪11x14x13p
(台石15x36x40m)
下29pで折れ

218

3丁N34.779227 E135.109084(東面)
従丹生山三丁
一石五輪塔角柱
166x21x20p
水輪15x20x19p
火輪15x20x20p
風輪6x14x15p
空輪10x13x13p

327

4丁N34.778639 E135.109706北東(北東面)
従丹生山四丁
一石五輪塔角柱
175x20x20p
水輪16x19x20p
火輪15x19x20p
風輪6x14x15p
空輪11x13x13p
下部で折損

436

5丁N34.778159 E135.11046南西(南西面)
従丹生山五丁
一石五輪塔角柱
176x21x20p(基部含)
水輪16x20x20p
火輪17x21x20p
風輪7x15x14p
空輪11x14x14p
折、下より48,84,110,145,158p

545

6丁N34.777727 E135.11122(南面)
従丹生山六丁
一石五輪塔角柱
169x22x19p
水輪16x21x18p
火輪15x21x19p
風輪8x17x15p
空輪10x15x13p

654

7丁N34.777348 E135.112005(北面)
従丹生山七丁
角柱
134x20x18p
(基部20p含む)

763

8丁N34.776978 E135.112834北東(北東面)
従丹生山八丁
一石五輪塔角柱
156x23x20p
水輪14x22x20p
火輪18x22x20p
風輪10x18x6p
空輪12x15x14p

872

9丁N34.776774 E135.113538(南面)
従丹生山九丁
一石五輪塔角柱
181x21x21p
(基部23p含む)
水輪17x21x21p
火輪17x20x21p
風輪8x16x17p
空輪8x13x14p

981

10丁N34.777243 E135.113472西(東面)
従丹生山十丁
角柱
130x22x20p
(上部に接着剤が残る)

1090

11丁N34.778215 E135.113728(南面)
          右 淡河町
従丹生山十一丁 従是
          左 丹生山
一石五輪塔角柱
181x22x21p
(基部4p含む)
水輪15x22x21p
火輪15x21x20p
風輪8x15x14p
空輪11x14x14p

1.20q

12丁N34.777535 E135.114139北東(北東面)
従丹生山十二丁
一石五輪塔角柱
157x21x20p
(下から35pで折)
水輪16x21x20p
火輪18x21x19p
風輪10x17x16p
空輪11x15x15p

1.31q

13丁N34.776940 E135.114899西(西面)
従丹生山十三丁
一石五輪塔角柱
161x20x19p
水輪16x20x19p
火輪15x19.5x19p
風輪6x14x14p
空輪10x13x13p

1.42q

14丁N34.776002 E135.115566西(西面)
従丹生山十四丁
角柱
103x23x20p

1.53q

15丁N34.775244 E135.115835南西(南西面)
従丹生山十五丁
(北西面)
          □主
 自丹生山十五丁    永 □ 十六…
          住 (田)
一石五輪塔角柱
189x21.5x23p
水輪17x21x21p
火輪15x21x23p
風輪7x16x16p
空輪14x16x16p

1.64q

16丁N34.774452 E135.116199西(西面)
従丹生山十六丁
一石五輪塔角柱1
144x21x20p
水輪18x21x21p
火輪18x21x21p
風輪11x19x19p
空輪12x15x15p

1.74q

17丁N34.773488 E135.115791北西(北西面)
従丹生山十七丁
(北東面)
 自丹生山十七丁
角柱
110x21x20.5p

1.85q

18丁N34.772444 E135.115481(東面)
八丁
角柱
76x21x19p

1.96q

19丁N34.771606 E135.115601(東面)
従丹生山十九丁
(南面)
 自丹生山十九丁
一石五輪塔角柱
191x22x22p
水輪16x21x22p
火輪14x22x22p
風輪6x15x15p
空輪13x14x14p

2.07q

20丁N34.770822 E135.115894西(西面)
従丹生山二十丁
(東面)
 自丹生山二十丁
一石五輪塔角柱
181x22x22p
水輪17x22x22p
火輪15x22x22p
風輪6x17x17p
空輪13x15x15p

2.18q

21丁N34.769758 E135.115974(東面)
従丹生山廿一丁
(北面)
 自丹生山二十一丁
一石五輪塔角柱(二石かも)
206x21x22p
(下から95p折、水輪部接続)
水輪17x21x21p
火輪13x22x22p
風輪7x18x18p
空輪14x16x16p

2.29q

22丁N34.768626 E135.115972西(西面)
従丹生山廿二丁
一石五輪塔角柱211x22.5x23.5p
水輪17x21x23p
火輪13x23x22p
風輪7x16x18p
空輪13x17x17p

2.40q

23丁N34.768046 E135.115839南東(南東面)
従丹生山廿三丁
(北東面)
 自丹生山二十三丁
一石五輪塔角柱
142x22x22p
(下部か51x22x22p)
水輪20x20x20p
火輪15x22x22p
風輪7x17x16p
空輪14x16x16p

2.51q

24丁N34.767203 E135.11466(南面)
従丹生山 廿四丁
(北面)
      …
 自丹生山二十四丁 …十六…
      …
角柱
172x26x25p
(上部にφ18x-4p丸穴)
移設か

2.62q

25丁N34.766419 E135.115661中央(南面)
         従丹生山 廿五丁
明和七庚寅天三月吉日
       願主大坂…鈴鹿屋八良兵衛
同藍那村 三右衛門
角柱(台石)
62x52x52p

2.73q

鳥居前N34.763944 E135.115796丹生神社参詣道
大正十二年五月建之 丹生神社
尖頭型角柱
122x?x?p(頂高5p)

25丁から290m

?丁N34.780255 E135.107372一丁横
倒置
(右面)
自丹生山
角柱
101x22x19p

?q

?丁N34.780470 E135.107003一丁西(北面)
角柱
52x21x21p

?q

3丁N34.780470 E135.106677社務所下
(南面)
 自丹生山三丁
角柱
137x21x20p

327m

6丁N34.780473 E135.106637社務所下
(南面)
 自丹生山六丁
角柱
138x22x21p

654m


注)「正面」とは丁数の刻まれている面、「道の左右」は丹生山へ向かって、「大きさ」は基礎部を含まない地表高。

写真iimg5187
【0.社務所前】


【1.一丁】

写真iimg5127

写真iimg5132

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山一丁              │
└――――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│        …           │
│ 自丹生山一丁 永@  十一月十六日  │
│          箕谷      定A│
└――――――――――――――――――――┘
(@を「徳」とするものあり、Aは永か)

写真iimg5141   写真iimg5144
北西面、下部中央

写真iimg5142   写真iimg5146
北西面、下部左



【2.二丁】

写真iimg5160

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山二丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【3.三丁】

写真jimg4060

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山三丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【4.四丁】

写真jimg4022

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山四丁              │
└――――――――――――――――――――┘



【5.五丁】

写真jimg3987

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山五丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【6.六丁】

写真jimg3956

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山六丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【7.七丁】

写真jimg3931

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山七丁              │
└――――――――――――――――――――┘



【8.八丁】

写真jimg3899

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山八丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【9.九丁】

写真jimg3555

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山九丁              │
└――――――――――――――――――――┘



【10.十丁】

写真jimg3525

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十丁              │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3533
十丁上面
(角柱上端に樹脂製の接着剤が着いており
 最近まで上部が残っていた可能性有り)



【11.十一丁】

写真iimg2432

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│           右 淡河町    │
│従丹生山十一丁 従是          │
│           左 丹生山    │
└――――――――――――――――――――┘

写真iimg2444
南西面下部(道標部)

 別項詳細あり



【12.十二丁】

写真iimg2425

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十二丁             │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【13.十三丁】

写真iimg2481

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十三丁             │
└――――――――――――――――――――┘

写真iimg2484

南面、水輪部
┌─――――┐
│(梵字か)│
└―――――┘



【14.十四丁】

写真jimg3391

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十四丁             │
└――――――――――――――――――――┘



【15.十五丁】

写真jimg3362

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十五丁             │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3363
北西面上部

写真jimg3377
北西面下部

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│          □主        │
│ 自丹生山十五丁    永 □ 十六… │
│          住 (田)     │
└――――――――――――――――――――┘
(「永徳三年」とするもの有り)



【16.十六丁】

写真iimg2507

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十六丁             │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【17.十七丁】

写真jimg3319

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山十七丁             │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3321

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 自丹生山十七丁            │
└――――――――――――――――――――┘



【18.十八丁】

写真jimg3294

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│八丁                  │
└――――――――――――――――――――┘
(多分十八丁であろう)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【19.十九丁】

写真jimg3274

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 十九丁            │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3276

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 自丹生山 十九丁           │
└――――――――――――――――――――┘



【20.二十丁】

写真jimg3235

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 二十丁            │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3251

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 自丹生山 二十丁           │
└――――――――――――――――――――┘



【21.二十一丁】

写真jimg3200

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 廿一丁            │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3206

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 自丹生山 二十一丁          │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【22.二十二丁】

写真jimg3163

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 廿二丁            │
└――――――――――――――――――――┘



【23.二十三丁】

写真jimg3138

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 廿三丁            │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3136

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│ 自丹生山 二十三丁          │
└――――――――――――――――――――┘



【24.二十四丁】

写真iimg1624

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従丹生山 廿四丁            │
└――――――――――――――――――――┘

写真jimg3120
北面中部

写真jimg3115
北面下部

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│          …         │
│ 自丹生山二十四丁 …十六…      │
│          …         │
└――――――――――――――――――――┘



【25.二十五丁】

写真iimg1592

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│       願主大坂…        │
│ 明和七庚寅天             │
│         鈴鹿屋八良兵衛    │
│従丹生山 廿五丁            │
│         同藍那村       │
│ 三月吉日               │
│          三右衛門      │
└――――――――――――――――――――┘
 別項詳細あり

【26.鳥居東石標】

写真iimg1378

写真iimg1382

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│丹生神社参詣道             │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│大正十二年五月建之 丹生神社      │
└――――――――――――――――――――┘
 別項詳細あり



【27.1丁北横に寝かされた石】

写真jimg4182

右面
┌─―――――――――――――――――――┐
│自丹生山                │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【28.二の鳥居前の丁石】

写真jimg4221

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│丁                   │
└――――――――――――――――――――┘
(立つ位置から想像すれば一丁か、本殿前まで1丁)



【29.撤去の三丁丁石か】

写真jimg4193

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│自丹生山三丁              │
└――――――――――――――――――――┘

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【30.撤去の六丁丁石か】

写真jimg4218

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│自丹生山六丁              │
└――――――――――――――――――――┘


↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

5.【北参道丁石詳細】
 基本的に尖頭型角柱である。正面上部に梵字一字(キャ、十一面観音の種子か)、続いて「従寺」(寺よりと読むか)
と書き、一番下に残存距離を「×丁」と刻んでいる。側面の「施主」は村名と名前が彫られ、近世のものに感じる。
 北参道五丁の位置が元の位置のままであるとすると、到達地点(0丁)は、二の鳥居東の表参道との合流点辺りにな
ると思う。山深い神社である為、この鳥居を到達点として丁石を建てても不思議ではない。
 単純に「寺」を明要寺とすれば、現在「明要寺跡碑」が建つ地点は鳥居の東50m程と思われる。

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 7.義経道 8.名所図会 ↓末尾へ

6.【北参道丁石一覧】
神戸市北区丹生山北参道丁石一覧
丁数位置正面方向道の左右丁数大きさ理論距離m
0丁N34.780421 E135.107036  二の鳥居、東10m 

0

5丁N34.784671 E135.105364(梵字)従寺五丁
施主原野兵…
尖頭型角柱52x18x18p(頂高7p)
(基部13pは除く)

545m

6丁N34.784737 E135.104237北東(梵字)従寺六丁
施主坂本勝兵衛
尖頭型角柱59x18x19p(頂高5p)

654m

7丁N34.785355 E135.103206南西(梵字)従寺七丁
施主坂本惣兵ヱ
尖頭型角柱69x18.5x19p(頂高4p)

763m

8丁N34.786196 E135.102946(梵字)従寺八丁
施主坂本玄治
尖頭型角柱60x18.5x19p(頂高4p)
(基部35pは除く)

872m


注)「正面」とは丁数の刻まれている面、「道の左右」は丹生山へ向かって、「大きさ」は基礎部を含まない地表高。


写真iimg5124 写真iimg5172
【0.二の鳥居】 【現在の明要寺跡碑を西に見る】


【1.五丁】

写真iimg5209

写真iimg5210

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(梵字)従寺五丁            │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字は「キャ」十一面観音の種子か)

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│施主原野兵…              │
└――――――――――――――――――――┘



【2.六丁】

写真iimg5225

写真iimg5231

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(梵字)従寺六丁            │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字は「キャ」十一面観音の種子か)

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│施主坂本勝兵衛             │
└――――――――――――――――――――┘



【3.七丁】

写真iimg5250

写真iimg5252

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(梵字)従寺七丁            │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字は「キャ」十一面観音の種子か)

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│施主坂本惣兵ヱ             │
└――――――――――――――――――――┘



【4.八丁】

写真iimg5261

写真iimg5264

上面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(梵字)従寺八丁            │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字は「キャ」十一面観音の種子か)

右面
┌─―――――――――――――――――――┐
│施主坂本玄治              │
└――――――――――――――――――――┘


↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 8.名所図会 ↓末尾へ

7.【義経道詳細】
一基しか見つからなかった。石の頂部がかまぼこ型である事と、右面(本来なら東面か)に「従是丹生山境内」と記す事以外は北参道
の丁石とよく似ており、施主の苗字か地名かは判然としないが「坂本」も同じである。
 尚、神社か寺かは明確でないが「境内」を示す石は丹生山域ではこれだけであり特殊と言えるであろう。近くに有った保安林看板に
神社境内とする図があったが、この地点と一致するかが判別できる代物では無かった。

神戸市北区丹生山義経道丁石一覧
丁数位置正面方向道の左右丁数大きさ理論距離m
8丁N34.775700 E135.108223(上面)
従寺八丁
(右面)
従是丹生山境内
(左面)
施主坂本らく
かまぼこ型角柱
67x19x13p(頂高3p)

872




【1.八丁】

写真jimg4269

写真jimg4275

写真jimg4272

上面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従寺八丁                │
└――――――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――――――┐
│従是丹生山境内             │
└――――――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――――――┐
│施主坂本らく              │
└――――――――――――――――――――┘



8.【摂津名所図会、国絵図】
丹生山の遠景が、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [6]のコマ番号45にあるが参考にはならない。
公文書館の『天保の国絵図』に「明要寺」が書かれる。

↑先頭 1.概要 2.1表参道 2.2裏参道 2.3義経道 2.4浦川道 2.5住吉社道 2.6高泉寺 2.7不動滝道 3.表詳細 4.表一覧
 5.北詳細 6.北一覧 7.義経道 8.名所図会へ
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ