106.神戸市北区山田町丹生山北参道六丁の道標

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神戸市北区山田町坂本 丹生神社二の鳥居から北参道を680m、馬の背への分岐三ツ辻の北部に南を正面に建つ
(北参道は、「太陽と緑の道コース23」の一部でもあり、道南側には六丁丁石が建つ)
頭丸型角柱 66x18x19p(頂高3p)(基部10p含)(西面上部欠損)
N34.784795 E135.104188


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南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 あ宇古               │
│        道           │
│左 戸田下むら             │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│  施主 中(村)吉右ヱ門       │
└――――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbX0)
(同書では「右 おうこ□□□」としているが、「右 あ宇古」と変体仮名で書かれているとした。たしかに左の字数
 に合わせようとすると何かを補いたくなるが、二字目の「宇」の変体仮名が大きく書かれ、尚且つ、「宇」の一画目
 の「ゝ」の右横に横線「ー」があり一見「よ」の如く見えたりもするが、横棒を傷と見なし無視し、左の「田下」に
 あたる位置に大きな「宇」一字が書かれているものとした。又、その下は左の「む」に当る所には「六」の様に見え
 る「古」の変体仮名が見え、ここまでで三文字「おうこ」即ち「淡河」と考えた。その下には突起が見えるが文字は
 無いとして、右は播磨の国の淡河だけを案内するものとしたい。
  尚、南面の右側4、5ヶ所に樹脂製の接着剤のようなものが付着しており余計に読み難い。石質は礫を含み風化に
 取り残された部分はまるで豆の様に飛び出しており、1p程度摩耗しているのではと思われる。)
(「左、戸田下むら」の「下村」は国立公文書館の『天保播磨国絵図』に見える、「くるしのた王(わ)」より繋がる
 「西下村」(現淡河町勝雄あたり)とすれば、朱書きの道が書き込まれており、一方の「戸田」を現在の志染町戸田
 に同定するなら、両者とも、ここから西に向かい「くるしのたわ」を案内して問題はないと思う。
 注、「たわ」とは「撓む」からでた言葉の様で、稜線がタワンだ地形(鞍部)を言うようです。)
(「右、淡河」方面に下ると約550mで「山田町丹生山馬の背の道標」
 「左、戸田…」に向うと、約950m程で「丹生山北参道くるし坂たわの道標」に繋がる。)
(丹生山参道に関しては「神戸市丹生山丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 左(南東)丹生山へ  奥、くるし坂たわへ  奥、(南東)丹生山へ
 右、くるし坂たわへ】  右(北東)馬の背道標へ】  左が当道標、右六丁丁石】

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【4.道標南面中部拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標南面中部拡大
 「左 戸田下むら」  「右 あ布古」  右側変体仮名「あ宇古」
 は間違いない】  「左 戸田下むら」】  あ、宇の間はキズとした】

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【7.道標を北東に望む 【8.道標南面を上から望む 【9.道標東面下部拡大
 奥(北東)馬の背道標へ  西面上部が一部欠損  施主の苗字「中」の
 下り道になる】  案内には支障なし】  次が「村」であろうか】

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【10.北区南部の道標】

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【11.丹生山参道概略図】
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