107.神戸市北区淡河町丹生山北参道くるし坂たわの道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市北区山田町坂本 丹生山北参道くるし坂のたわの北40mの三ツ辻西部に南東を正面に建つ
(h字状辻で南西はたわ(鞍部)シビレ山頂や三木へ、北東に丹生山北参道が、西折れすぐ北東に淡河へ登る道が分岐)
頭丸型角柱 52x19x18p(頂高3p)
N34.788824 E135.097868


写真iimg5284

写真iimg5287

写真iimg5291

写真iimg5292

南東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 淡河下村              │
│        道           │
│左 戸田三木              │
└――――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│  施主 上村             │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbW8、尚、巻末付属地図の位置が間違っている。)
(同書では「「下村」は今の勝雄あたり。左は三木へ。」としている。「下村」を国立公文書館の『天保播磨国絵図』
 で見ると、「くるしのた王(わ)」より朱書きの道で繋がる先に「西下村」が書かれており上書の通りとして良いで
 しょう。一方の「戸田」を現在の志染町戸田、「三木」は三木市に同定するなら、両者とも、ここから40m程南西に
 登った地点が「くるしのたわ」らしく、そこから30m程下った三ツ辻を左に採れば戸田へ、右に滝道を下れば三木へ
 続き案内に問題は無いと思う。
  ただ、淡河、下村への道が、たわから丹生山への道から直線的に分岐せず、ぐるりと道標を巻き込むように続いて
 いるのが何か不思議な感じがする。崖や谷などの地形的な制約を受けるような地点でもないのに理由があるのか。
 注、「たわ」とは「撓む」からでた言葉の様で、稜線がタワンだ地形(鞍部)を言うようです。)
(尚、この道標に案内の無い南東の丹生山方面に向うと、約950m程で「丹生山北参道六丁の道標」がある。この道を
 勝手に「北参道」としているのだが、北参道の帰路がこの道標以降分岐しており、どちらを北参道とすべきか結論は
 出せていない。「北」と付けたのだから淡河方面に向かう道とすべきであろうが、この先丁石が見当たらなかった。
 尚、たわより南、と西、即ち戸田、三木方面は未踏査です。)
(丹生山参道に関しては「神戸市丹生山丁石一覧」を参照下さい。)

写真iimg5277 写真iimg5280 写真iimg5279
【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(南西)たわへ  道標後奥、くるし坂たわへ  左奥、(北東)丹生山へ
 道標右廻り込み淡河へ】  左(北東)丹生山へ】  道標後ろ右、くるし坂たわへ】

写真iimg5278 写真iimg5300 写真iimg5297
【4.道標を北東に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標南東面右部
 奥(北東)北参道丹生山へ  「右 淡河下村」  「右淡」が摩耗するが
 道標後ろ左、淡河へ】  「左 戸田三木」とした】  「右 淡河」とした】

写真iimg5301 写真iimg5298 写真iimg5299
【7.道標南西面下部 【8.道標南東面左上部 【9.道標南東面下部
 「施主 上村」  「左戸」が欠損するが  「下村/三木/道」
 とした】  「左 戸田」とした】  は綺麗に読める】

写真gimg3367
【10.北区南部の道標】

写真iimg5381
写真iimg5382
【11.丹生山参道概略図】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ