92.茨木市沢良宜浜1加円の曲がりとの道標(遺失)

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茨木市沢良宜浜1丁目10−31 左記住所の沢良宜浜農業会館近辺を探したが不明、元位置らしい横江町にも見えず
『わがまち茨木』(道標編)82の内容を載せる。
尖頭型角柱 99x23x17(頂高4)
N34.79350823 E135.5687932


写真iimg5862

右面
┌────――――――――――――――┐
│明治十四年 巳 七月        │
└――─―――――――――――――――┘

正面
┌────――――――――――――――┐
│右 しま 乃〃宮          │
│左 さわらき いばらき       │
└――─―――――――――――――――┘

左面
┌────――――――――――――――┐
│ 施主               │
│   味舌村木下豊吉        │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では82)
(説明が長いので要旨をまとめると「元は茨木市横江2丁目辺り「加円のまがりと」と呼ぶ所に立っていたが遺失。そ
 の後昭和55年迄の水路改修で出土し、農業会館前に移設、出版時点では不明。」とあり、記事が書かれた時点の農業
 会館が何処か不明、「加円のまがりと」も不明であり、現在の「沢良宜浜農業会館」と横江1丁目と2丁目の境い辺
 りを探したが、いずれも見つからなかった。
  現在の農業会館前を北東に見た写真を上記にあげておく、「力石」が幾つか置かれていた。
  一方、明治の地図を見ると元位置辺りにはH状の辻があり、北に墓地があった様で西側の辻の北東部
N34.788473 E135.566368
 辺りが有力候補と思われるが、現在は斜交する四辻になり東側に当る当時の辻らしき痕は無い。)
(案内の有る「右、島」の集落南には「島2の道標」があったが、2022年6月時点では無くなった様だ。
 又、「左、沢良宜、茨木」に進めばほぼ同時期の「玉櫛1の道標」に繋がり旧道の追跡が可能となるのだが残念。)

写真iimg5861 写真iimg5865
【1.農業会館北西部の 【2.元位置を南に望む
 力石と平成三年の  左手の墓地が切れた
 貯蓄推進地区記念碑】  辺りに有ったのでは】

写真eimg4675
【3.茨木南部の道標】
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