40.池田市綾羽2公園事務所西の道標

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池田市綾羽2−5 五月山ドライブウェイ料金所手前15m四辻北西部生垣中に、南西を正面に建つ
「池田市綾羽2の道標」から北に直線的に上がって来て、「がんがらコース、ウォンバットコースの入口でもある)
山型角柱 65x15.5x12p(頂高3p)(基部3p含む)
N34.830307 E135.426671


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南西面
┌────―――――――――――――――┐
│右 みの越              │
└――─――――――――――――――――┘
(「越」は変体仮名「を」)

南東面
┌────―――――――――――――――┐
│    平井村            │
│ 施主                │
│    千 九良兵衛         │
└――─――――――――――――――――┘

北東面
┌────―――――――――――――――┐
│なし                 │
└――─――――――――――――――――┘

北西面
┌────―――――――――――――――┐
│なし                 │
└――─――――――――――――――――┘


(当道標と同じ施主名を持つ「池田市綾羽2大広寺前の道標」がある。それには、正徳二年、(壬辰)年の
 十 月二十三日なら、1712年11月21日、月曜日
 十一月二十三日なら、1712年12月21日、水曜日
 十二月二十三日なら、1713年 1月19日、木曜日の何れかと思われ、同時に建てられたものとして良いのでは。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年には記載なし)
(上書に前述の道標は、「施主平井村、十(?)九良兵衛とし、平井は宝塚市の平井か、」としている。
 ここでは、十の上に「ゝ」が付いているので「千」としたが、「干」(カン)もある。
  施主の名前の「千 九良兵衛」は「千」と「九」の間がやや離れている為「千」は苗字であろうか。)
(明治の地図では現地点に道の分岐は見えず、「池田市綾羽2の道標」から登って来た道が愛宕神社に続く道の
 途中と見える。これは現、大文字コースに当る様にみえる。五月山ドライブウェイはwikiに「1958(昭和33)年
 に開通とあり、この地点を横切って付けられて四辻となったものであろう。「今昔マップon the web」参照。
 手元の明治18年測量地図では、印刷汚れで無ければ大廣寺南へ続く線が等高線を切って進むが不自然である。
  さて、「右、箕面」とするのは問題なしとして、どの道を指すのでしょうか、同施主の「大広寺前の道標」
 では明確にしなかったのですが、箕面を勝尾寺とするより瀧安寺とする方が良い様で、この場合は五月山南麓
 の巡礼道に案内する事になるでしょう。この場合は現五月丘5丁目交差点の西の交点辺りへ出る大広寺南の道
 (ほぼ府道9号箕面池田線)がありこれへの案内となるでしょう。今ならドライブウェイを東に進み大廣寺西
 参道から寺を下り府道9号へ出るか、ドライブウェイ一本下の道を東(登り道からは右)に下り五月山公園前
 交差点から府道9号を進むと受け取れる。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 中央生垣切れ目にある  後方建物は総合案内書  後、料金所
 右(南東)料金所へ】  右がんがらコースへ】  左がんがらコースへ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標を南西に望む
 左面(南西)に案内  「右 みの越」  奥山道下り第二駐車場横から
 右に施主名が見える】  「越」は「を」箕面】  南、綾羽2の道標へ】

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【7.道標南東面拡大 【8.大広寺前の道標北面拡大 【9.道標南東面下部拡大
 施主の名前は「千」  比較の為載せる  「千」は「十」ではない
 とした、苗字か】  「越」は「を」で箕面】  明らかに空白がある】

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【10.明治18年測量地図
 公園事務所西の当道標
 を東に向かう道があるか】

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【11.池田南部の道標】
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