26.神戸市中央区神戸港地方大龍寺奥ノ院の道標

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神戸市中央区神戸港地方再度谷1−8 奥の院大師堂の東5mに南を正面に建つ
山型板碑 137x35x12p(頂高5p)(台石28x48x28p)
N34.717667 E135.177845


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│右一丁上ル           │
│弘法大師自作亀石        │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│ 大正十四年五月 寺本善五郎  │
│         杉山あい   │
│         長部みね   │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(大正十四年は、西暦1925年。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(亀石が、信仰対象なのか、物見遊山の対象なのかは分かりませんが、『攝津名所圖會』. [9]のコマ番号15には載って
 おらず、新しい物かもしれない。行くべき価値があるのでしょうか、私はまだ見ていません。
 進むべき道と場所を指定しているので道標と言えるでしょう。施主の一人であろう「寺本善五郎」と同じ名前の石柱が
 「大龍寺仁王門北の道標」横に建っており同一人物と思われ「大龍寺本堂前の道標」にも「寺本」と苗字が一致する三
 名の女性と思われる名前もあり興味深い。)
(ここ、奥ノ院大師堂へ案内する「大龍寺本堂前の道標」からは東周りの参道となり、一丁と案内される距離は230m
 程にもなる上、急勾配である。
 一方、「大龍寺仁王門北の道標」からは400m程となる西側からの参道になり、こちらの方が傾斜は緩い。
 この、西側の道は残念ながら『攝津名所圖會』の本堂西からの道とは一致しないようで、近世の参道とは違っているか
 も知れない。先に述べた、現東側からの参道は不動堂の後ろから階段で「ちん守」へ登るように書かれた道と一致して
 いる様にも見えますが奥ノ院に繋がっているか微妙なところです。又、「梵字石」は載るも「亀石」は無く「奥ノ院」
 の横に書かれた「水おち」が井戸状のものなら、これは現存する。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.井戸前から道標を西に望む
 正面奥ノ院大師堂  奥(北東)亀石から  線香台奥を南に下り本堂へ
 右(東)に当道標】  再度山山頂へ】  大師堂西を下り仁王門へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標南東面下部拡大 【6.仁王門北の道標を西に望む
 「右一丁上ル」と  施主であろう三名  鳥居左の石柱に「神戸市有志者」
 亀石を案内する】  右端「寺本善五郎」】  「発起人寺本善五郎」とある】

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【7.国会図書館デジタルコレクション
 『攝津名所圖會』に
 読み下しを入れてみた
 奥の院は山頂の左下】

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【8.神戸市西部の道標】 【9.大師道の丁石】
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