40.川西市霞ヶ丘2−2の道標(昭和34年以降とし対象外)

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川西市霞ヶ丘2−2 県道12号火打1丁目交差点を西へ130mの三ツ辻の南西部に北を正面に建つ
(同一施主の道標が、これを含め近辺に三基建ち、内一基は宝塚市域になる)
角柱 144x27.5x27.5p(指差像9X17p線刻)
N34.834160 E135.413779


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北面
┌―――――――――――――――――――――┐
│       川西中学校へ   0.一キロ│
│右(右指差像)花屋敷ゴルフ場へ 0.四〃 │
│       日本山 妙法寺へ 0.二〃 │
└―――――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│ ここは川西市霞丘町二丁目        │
└―――――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――――┐
│  柴田不一建之             │
└―――――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│ ここは川西市霞丘町二丁目        │
└―――――――――――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊には未記載)
(当道標から現「妙法寺」寺標まで350m程で、寺直近の同施主建立の「宝塚市花屋敷荘園3の道標」まで290m程となり、少な
 い目の距離が書かれるのは常であるが、寺までが少し近すぎる気がする。移設があったものかも知れない。
 中学校門前まで190m、花屋敷ゴルフ場が多分810m、程度になると思われます。)
(東へ40mの三ツ辻を南折れし110mの三ツ辻、北西部に同施主の建てた、「霞ヶ丘2−1の道標」があるが、それよりも新し
 く見える。
 その西面に、昭和34(1959)年の銘がありそれ以降の建立となろう。又もう一基の同施主建立の「宝塚市花屋敷荘園3の道標」
 の昭和40(1965)年よりも新しく見え、これ以降の作と考えられる。
  一方、花屋敷ゴルフ倶楽部のhpを見ると「1959(昭和34)年オープン、1972(昭和47)年川西市より移転」とあり、1972年
 が建設年の最終候補と出来るでしょう。よって建設年は1966(昭和41)年〜1972(昭和47)年の間と思われます。
  地理院地図の1961〜1969年航空写真では当地点に辻はなく道標を建てる必要も無いと思える。同1974〜1978年で三ツ辻
 が見えている。辻の無い航空写真の撮影日が明確ではないが1969年を採ると、建設年は1969(昭和44)年〜1972(昭和47)年
 と絞り込むことが出来る。
  距離の表現も「丁」ではなく「キロ」となっている。メートル法への完全移行がwikiによると「1966(昭和41)年4月1日」
 とある ので、これも上記の建設時期と矛盾はしない。
  他の二基には紀年が刻まれているのにこれだけが無いのは、ヒョットして年齢が数えられない状況が発生したのかもし
 れない、仮に1969年であったならばこの年92歳になられていたと思う。上部がポッカリ空き残念である。)
(尚、前述の「霞ヶ丘2−1の道標」で妙法寺を目指す場合はこの道標に出会う事はない。)
(参考、「今昔マップ on the web」の昭和42年修正地図。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北西に望む、左奥へ進み 【3.道標を東に望む
 左奥宅地内へ、後が二丁目  川西中へは70m先で北へ分岐  奥(東)130mで県道12号
 右、妙法寺寺標まで350m】  180m先で道標1からの道に合流】  火打1丁目交差点へ】

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【4.道標を南に望む 【5.道標上部を南西に望む 【6.道標北面下部
 「右」の下に右指差像あり  右側が北面となる  「0.1キロ、0.4、0.2」と
 寺等、三ヶ所を案内】  稜線が新しさを感じさせる】  km表示としている】

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【7.川西北部の道標】
写真cimg7313
【8.川西南部の道標】
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