28.大阪狭山市池尻の道標

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大阪狭山市狭山4−2284−1 報恩寺南の交差点北東部フェンス前に南西を正面に建つ
尖頭型角柱 119x26x24p(頂高6p)台石12x49x49p
N34.504808 E135.5554329


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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│こい              │
│  子安地蔵尊         │
│さか     是より一丁    │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 施主堺            │
│    神南邊大道心      │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│天保十一子年七月□之      │
│     執次堺 中川氏    │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(梵字)為いぬみゝ須菩提也   │
└――――――――――――――――┘
((梵字)は「カ」地蔵菩薩の種子か)
(「須」は変体仮名「す」)


(天保十一(庚子)年七月1日とすると、西暦1840年7月29日水曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、414)
(南西面下部左にある「是より一丁」は窮屈に見え、全体的な配置と刻みの深さ等から、追刻が考えられる。)
(南西面「こいさか子安地蔵尊」は『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、によると「南海大阪狭山市駅東にあっ
 た融通念仏宗の地蔵寺の本尊」とし「こいさかは駅東の坂の呼び名」であるらしい。現在は寺の跡もなく南海
 高野線の踏切迄でも230m(2丁)あり、いささか短かすぎるようです。尚、現在の子安地蔵尊(一尺六寸の
 檜一木造、平成26年完)は報恩寺に祀られている。
  踏切東側には、神南邊を世話人とする「大阪狭山市駅前の道標」と新しそうな石地蔵と池から拾い上げた常夜灯が
 あります。)
(北東面に「執次堺、中川氏」とあるので神南邊の自筆かどうか気になる所です。字は上手い様に見えます。)
『今昔マップ on the web』明治の地図を見ると、現在地に辻は無く移設と想像できます。『大阪の街道と道標』
 にも移設とある。又同書では報恩寺を「子安地蔵尊」としている。)
(すぐ北にある「報恩寺の扁額」に天保十一年七月とあるらしく同時に建てたものか。
 これより、南東250mに「大阪狭山市駅前の道標」がある。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 右信号下に当道標  北西面「(梵字)為いぬ…」  奥(南)浦之庄交差点へ
 右(東)大阪狭山市駅へ】  奥(東)大阪狭山市駅へ】  道標南は半田交番】

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【4.道標北西面上部 【5.道標南西面拡大 【6.道標南東面上部
 (梵字)は「カ」  「こいさか子安…」は  「施主堺」
 地蔵の種子か】  ここから東らしいが】  と読める】

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【7.道標北西面中部 【8.道標南西面左下部 【9.道標南東面下部
 「為いぬみゝ須」  「是より一丁」は  「神南邊大道心」
 扁額と一致する】  バランスが悪い】  「南邊」はくずし字】

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【10.道標北西面下部 【11.道標北東面上部 【12.道標北東面下部
 「みゝ須菩提也」  「天保十一子年七月…」  「中川氏」
 とした】  「執次堺」とした】  とはどの様な人か】

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