43.1.右京区御室大内仁和寺裏手の標示石2(道標ではない)

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
京都市右京区御室大内 八十八ヶ所の50、51番の間、絶景ポイントベンチ後(北)側に南を正面に建つ
尖頭形角柱 148x31x29p(頂高6p)
N35.037290 E135.710760


写真kimg0642

写真kimg0645

写真kimg0647

写真kimg0639

南面
┌――――――――――――――――┐
│此東南胎蔵界          │
│此南 金剛界          │
└――――――――――――――――┘

東面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――┐
│       神南邉庵     │
│發起 泉州堺          │
│       大道心隆光    │
└――――――――――――――――┘


(『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、2012年発行では、京3)
(発起人の記述は、写し八十八ヶ所入口にあるものと、全く一緒である。紀年銘が無い点と、「金剛界」
 「胎蔵界」の方向が異なっている。)
(別項の「邊」「邉」問題に関しては、楷書で明らかに「邉」としており、発起とあり本人の書いたもの
 では無さそうに思う。)
(入口の一番に「仁和寺裏手の標示石」、最後の霊場出口に「仁和寺裏手の標示石3」が置かれる。)

写真kimg0634 写真kimg0659 写真kimg0633
【1.石碑を東に望む 【2.石碑を北西に望む 【3.石碑を南東に見下ろす
 左端黒い石が当石碑  奥九十九折れに登り  石碑は中央大きい石
 奥下って五十一番へ】  五十番札所に続く】  道は右から左へ下る】

写真kimg0663 写真kimg0664 写真kimg0676
【4.石碑を南面上部 【5.石碑南面下部 【6.石碑から南東方向を見る
 「此東南胎…」  右、左とも「界/界」  胎蔵界を市街中央部とするか
 「此南 金剛」】  上は「胎蔵/金剛」】  八十八ヶ所域内とするか】

写真kimg0667 写真kimg0666 写真kimg0650
【7.石碑を南面下部左 【8.石碑南面下部右 【9.石碑西面上部拡大
 「剛界」と読める  「蔵界」と読める  「發起」
 上は「此南金」】  上は「此東南胎」】  と読める】

写真kimg0652 写真kimg0692 写真kimg0683
【10.石碑西面中部拡大 【11.石碑西面下部拡大 【12.石碑西面「邉」部
 「泉州堺」は  「神南邉庵」  楷書とみて『大字典』は
 発起人の住所か】  「大道心隆光」とある】  「邉」は「邊」の略字】

文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ