43.2.右京区御室大内仁和寺裏手の標示石3(道標ではない)

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京都市右京区御室大内 88番出口の南、一般道三ツ辻の北20m東側に西を正面に建つ
尖頭形角柱 124x27.5x28p(頂高6p)
N35.031403 E135.712464


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西面
┌――――――――――――――――┐
│此北西胎蔵界          │
└――――――――――――――――┘

南面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

東面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――┐
│       神南邉庵     │
│發起 泉州堺          │
│       大道心隆光    │
└――――――――――――――――┘


(『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、2012年発行では、京4)
(発起人の記述は、写し八十八ヶ所入口にあるものと、全く一緒である。紀年銘が無い点と、「金剛界」
 「胎蔵界」の方向が異なっている。)
(「金剛界」「胎蔵界」はよく知りません。『広辞林』を見ると、「胎蔵界」密教で説く大日如来の理法身
 の総称。凡夫が大定知恵を具有すること。「金剛界」密教で大日如来の知徳を表した部門の称。とありま
 すが、どう違うのか良く分りません。「この世」と「あの世」でも無さそうです。取敢えず場所を表すと
 解釈し、三基の石標からその方向を見てみましょう。ただその範囲の対象として大きな範囲(例えば日本)
 とするか、狭く、仁和寺西国八十八ヶ所霊場域とするかにより示すものが異なるように思います。ここは
 後者、即ち霊場域を示すものとして見ます。
  最初の一番札所南の石を@とし、五十番過ぎをA、出口をBとすると、@は北西のみを指して「金剛界」
 としているので、北西に向かう参詣道を示していると理解する。依って二十八番辺りが最も西になりそう
 で、これからは北に向かう。四十番辺りから北東に向かい、四十三番で最北地点となり、以後南東に下り
 始め、Aを通過し五十二番からは南東とするよりも南行の感じになり出口Bへと続く様に思う。
  ここで、AとBに注目すると、胎蔵界はAから南東へBまで、逆に見ればBから北西へAまでの間とす
 れば、辻褄が合いそうです。参詣道を胎蔵界、金剛界に二分すると、始め金剛界から北西に進み、Aで
 「胎蔵界」に入りBで終わるとすれば、二界を巡る参詣道を表しているとして納得出来そうに思う。ただ
 この時、Aの位置が移動している様に思え、Aは四十三番辺りにに置かれていたのではないか。
 「神南邉庵大道心隆光」さん、如何でしょう。)
(別項の「邊」「邉」問題に関しては、楷書で明らかに「邉」としており、発起とあり本人の書いたもの
 では無さそうに思う。)
(入口の一番に「仁和寺裏手の標示石」、途中50、51番の間に「仁和寺裏手の標示石2」が置かれる。)

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【1.石碑を南東に望む 【2.石碑を東に望む 【3.石碑を北に望む
 先は一般道奥下って  左八十八番札所へ  石碑は緑三角コーン
 仁和寺の西門へ】  右(南)一般道へ】  右に小さく見える】

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【4.石碑を北に望む 【5.石碑西面拡大 【6.石碑北面拡大
 境内南端か  「此北西胎蔵界」  「發起、泉州堺」
 左奥に八十八番】  と読める】  「神南邉庵/大道心隆光」】

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【7.石碑北面中部拡大 【8.石碑北面下部拡大 【9.石碑西面「邉」部
 「泉州堺」は  「神南邉庵」  楷書とみて『大字典』は
 発起人の住所か】  「大道心隆光」とある】  「邉」は「邊」の略字】

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