What’s  by Ishikiri

『石切神社の参道で、一番の見所といっても過言ではない高木薬房。誰もが一旦足を止めて見入ってしまうほど、とにかく凄い。』と参拝人を驚かし、怪奇と異様な空間に引き込ませる薬房。
それに輪を架けたようにすごい形相の奇人店主。TV各局が『地獄爺』と囃し立て、何回も放映に来たほど。

有名人となったこの地獄爺が2000年1月に93歳の天寿を全うした。老衰。
そして、新世紀となった2001年4月、薬房が壊された。薬房にあった、あの凄い絵や模型が瓦礫と一緒に廃棄されたのだ。
多くの参拝人や視聴者を驚かせ、笑わせ、怖がらせ、話題の坩堝に陥れた薬房が、もう2度と見られなくなった。
地獄爺が亡くなり、薬房が閉まっていた間、多くの参拝人は『どうなったのか?』、『なんで閉まっているのですか?』と尋ねた。事情を説明すると、早く再開を要望する声が多かった。

 今は無き薬房。壊された跡地には何が建てられるのか!これらに付いては逐次報告予定。 

現状(2001/5)の風景

薬房は跡形も無い。

爺も無し。

20世紀の異(遺)物は既に無し。

嗚呼、つわものどもが夢の跡


     現状

   今はなき面影

イラスト図
薄汚れた格子窓のショーウインドウ。乱雑に並べられた漢方薬、それを取り囲むような周りの壁に描かれた奇妙な絵。50年近く前に描かれたであろう病例図。
終戦後、子供の死亡率は高く、医療機関も少なく、病名さえ定かで無い時代の図解。壁に描かれた謎の病気の数々。時代が止まったまま20世紀末まで走り終え、新世紀に入るやその存在を無くした。


夜泣き、かんむし、
ひきつけ、乳あまし

心臓かん虫(あほう)

かべつちを食べる・・・

肝臓かん虫、腓臓かん虫

耳ダレ、耳イタ、耳ナリ

でかい耳のまん中に「耳ダレ、耳イタ、耳ナリ」の文字。これ、漢方薬屋の看板です。

人体模型
奇妙な病例が描かれた壁。その壁に囲まれた中央に飾られているのは下の人体模型。
顔とカラダのアンバランス。
しかも、肺がやけに大きい。
薄汚れてますが、内蔵類は取り出して見ることができるようです。


頭は絶壁、
尻から下は省略。

こんな異様なイラストや奇妙な模型、凄い形相の実物の地獄爺を見て、参拝人は驚かされ、感心したり笑ったりしているうちに、疲れた身体や心がほぐれる。石切神社参拝時の楽しみの一つだったのだ。

耳の神さん
参道の中程、石切大仏を下ると、耳ナリと書かれた看板が目を引く。
薬房の横に建てられた『耳の神様』である。薬房の店主『地獄爺』が管理経営していたが、
亡くなってからは鎖で封鎖され、賽銭を入れないで下さいと張り紙を貼付されていた。
それでも参道を通る参拝客が、両手を合わせて拝んでいる。沢山の人がお参りしています。
ここは石切神社とは一切関係のない場所であるが、ここを尋ねて来る人も多い。
耳の病気で悩んでいる人、耳の具合の悪い人、多くの人が『耳の神様』にお参りする。

 

     二拝・二拍・一拝 石切には沢山の神仏が

混沌宗教密集地帯
神様の雑居ビル

見に行く


賽銭箱の横には、耳の病気の
完治を祈るお札が山と積み重
ねられていた。

池には伊勢の二見浦を想像さ
れる、注連縄が架けられている

左右の耳から水が滴り落ちている

顔は薬房の地獄爺に酷似し、
耳は如来菩薩の如く長く、
頭には神官の烏帽子。

耳ナリの神様はどのように出来たのか?
昔、ここにメタンガスが発生している溜め池があり、池の向こうに現在と同じ<耳ナリ>の看板が掛かっていた。
参道を通る人が、この汚い池に向かい立小便をした。この対策として、鳥居を作り、コンクリートで作った夫婦岩を置き、注連縄を張ったのだ。
このような神的な物に向かって小便をすることは誰でも躊躇する。
すると、参道を通る人は、立小便を止め、賽銭を投げるようになったのだ。
そこで、社を造り、賽銭箱を置き、お札(200円)を売り出し、いつの間にか「耳ナリの神様」と広がり知れ渡り、このあたりの環境がより神的な境内に変貌していった。

令和の時代   現在の姿は

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