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社会人勉強帳

[002] 1.英語との出会い 伊勢物語専攻が海外部へ廻された (2002/10/09)


伊勢物語専攻が海外部へ廻された

学習院大学国文科

伊勢物語成立論

在原業平自記説

大学院中退予定

太平洋クラブ入社

僕は社会に出た後に今まで、5つの大学院に通い、4つのそれを修了している。それ以外にも無数の学校に通っている。その間に11の会社に奉職し、直近の職業としては、外資の会社4社で社長を勤めてきた。キャリアの話はサイド・ストーリーとして、社会人としての勉強の体験を述べさせてもらうとしたら、まず僕がどんな具合に英語を勉強し始めたかを振り返らさせてもらいたい。

僕は帰国子女でもなければ、在学時代ESS(英語研究会)に属していたわけでもない。むしろ、全く興味が無かった。

学習院大学を卒業するのに1年余分にかかってしまったのは、家庭の事情もあったが、具体的に単位を落として留年したのは実は英語だった。

僕が英語の勉強を始めたのは、だから純粋に社会に出てからのことだ。最初は業務上の必要に迫られて、そしてすぐにキャリアの方向との関連から自覚的に勉強をするようになった。

太平洋クラブ株式会社に採用された採用面接では

「大学院のほうは中退します」

と答え、大学院2年次の春とともに普通の新卒としての勤務が開始した。

ところが、配属された部署が、何と海外部というわけだった。24歳の夏、これが僕にとって初めての英語との出会いとなった。

やっぱりだめな国文科

太平洋クラブ海外部

社内英会話教室

教会の無料英会話教室

海外事業部に配属されると、課長が僕をテストするように、簡単な英字新聞の記事を持ってきて、

「これを訳しておいて」

と、置いていく。大学時代に使ったポケット英和辞典を使い、とぼとぼと訳し始めたが、当たり前のことに、10センチ四方くらいの記事を訳するのに夜が明けそうな有り様だ。

太平洋クラブの親会社だったのはとある銀行で、そちらの方では会社の費用で週1回、外部の先生を呼んで英会話教室を開いていてくれた。業務上からも、僕の語学の惨澹たる状態からも、僕はこの教室に出るように命じられた。

これが、僕が英語の勉強を始めたいわば、「最初の一歩」ということになる。

週に一回、終業後に1時間半ほどの英会話初級教室だった。週1回の会話教室は結構楽しかった。話下手な自分だったが、クラスでのドリルの反復くらいなら出来るし、会社で孤立していた新入社員としては格好の息抜きの場所だった。他部門の社員の人たちからは味噌っかす扱いを受けることもない。

そのうち、家の駅の近くで西洋人の人からビラをもらった。見ると、末日聖徒教会(モルモン教)が日曜日に無料英会話教室を開いているという。もちろん、布教ねらいぶくみの教室だろうが、無料だし、日曜日だし、近所だったので行くことにした。

これが、僕が初めて行き始めた外部の「アフター・ファイブ」の学校、教室ということになった。

でも、僕の英語修行はまだ端に就いたばかりで、あまり一生懸命に取り組んでいたわけではない。


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