[004] 英語学校にいりびたり (2002/10/21)
英語学校にいりびたり 給料泥棒 大学院卒業 失職 四谷PL外語学院 英検2級受検 マンパワー・ジャパン社 トミー工業入社 今から思えば、太平洋クラブにはとても申し訳ない。なにより、1年間何も貢献せず、騒ぎを起こしただけで、出てきてしまった。こういうのを「給料泥棒」というのだろう。 貢献が出来ないという意味では世の殆どの新入社員はそうなのだろうが、僕の場合もうひとつ申し訳がないことがあった。それは、 「大学院は中退します」 と言って入社したくせに、実際には中退しなかったのだ。 大学院の2年次に目白の学習院に行ったのは、3日間だけだ。一方でフルタイムで内勤のサラリーマンを始めていたので、こんなものだろう。 履修届を出しにいった日、修士論文を出しにいった日、そして論文の口頭試問の日である。僕が9月初めに修士論文を出しにいったら、それは修士論文の提出受付日の初日だったのだけれども、全学部を通じて、僕が最初の提出院生だった。教務部にはまだ受付簿が用意されてなく、慌ててそれが僕の目の前で作られたのを覚えている。 学習院と太平洋クラブを同時に追い出された僕は、困ってしまった。もう研究職には戻れない。ビジネスの分野で生きていくとしたら、どうしたらよいのだろう。ただの国文科出身では、普通の会社にまともな就職は難しそうだ。そもそも卒業してしまっているので、新卒就職のルートは閉ざされてしまっているだろう。 ここに至って、図々しくも僕は何と英語を「売り」にして、貿易関係のポジションを目指すことにしたのである。というより、それ以外考え付かなかった。 貿易系の職を探すためにも、英語力を何とかしなければならない。 ここに至って僕は自腹を切って英会話の学校に通うことにした。友達から評判を聞いて、四谷PL外語学院(今はない)というところに決めた。最大の理由は、名前から分かるように宗教法人の経営なので授業料がずいぶん安かったことと、JR四谷駅から結構歩くため人気が無く、すいていたことだ。 生きるために一方でアルバイトをいろいろ始めたが、基本的には時間が自由になる。僕はこの学校で、週2回のクラスを二つ履修した。つまり、週4回である。おまけに昼時に行くので、クラスがおよそすいている。たまにはマン・ツー・マンで教えてもらえることも出来た。週末は、例のモルモン教会で無料レッスンにも励んだ。 思いきって英検の2級を受けたのは6月のことだったろうか。 試験の結果が出る前に、玩具製造大手のトミー工業株式会社で面接の機会が来た。もちろんそれまでに幾つか入社試験を受けて落ちていた。また一つだけ合格をもらっていたところがあったが、踏み切れないでいた。 トミー工業の面接機会はマンパワー・ジャパン社からもらった。僕は、なんと20代のこの早い時期から、登録型ではあるがヘッドハンターを介して転職をしていたのだ。なんで、社会知らずのこんな若さでこんな人材会社を見つけ出したのだろう。きっと登録を呼びかける広告が目に入ったのだと思う。
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