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社会人勉強帳

[006] 国際ビジネスに生きよう (2002/11/05)


国際ビジネスに生きよう

トミー工業輸入課

駆け出しの貿易マン時代

スキー正指導員

海外出張が最初の海外旅行

取引先の台湾工場が火事!

トミー工業は当時玩具のメーカーとしては日本で一番大きかった。戦後しばらく玩具が重要な輸出物資であったように、このころもトミー工業の主要なビジネスは対米への輸出販売だった。

しかし、僕が応募し配属されたのは、その花形の輸出部門ではない。国内販売部門の中の、輸入課という小さなセクションだった。

僕が生まれて初めて海外旅行をしたのも、28歳になったとき、海外出張をさせてもらったときだった。香港の地場最大手の玩具メーカーである開達(ケーダー)社に、Nゲージという鉄道玩具の発注交渉に乗りこんだのだ。

当時はまだ羽田空港から、中型機にタラップで乗りこんだ。8月のとても晴れた日で、タラップの中段から誰も見送ってもいないのに後ろを振り返り、

(これがオレの始まりか)

と、一人感動してしまったのを覚えている。

以来、今に至るまで海外出張の回数は3桁を越してしまった。

最初の香港出張のときは、実はトミー工業の現地事務所にいた日本人駐在の助けを借りて、何とか業務をこなした。

僕の英語力は、実際に相手が出てきて、口頭で交渉するにはまだまだ低レベルだった。

交渉が終わって、上原常務に報告すると、常務は、

「それで、その時相手は何と言ったの?」

とたずねる。さあ、そうすると具体的に覚えていないというか、個々の会話までは覚えていない。すると常務は

「杉本君、それでは確認しておいてね」

と、上司に振るのが常だった。


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