[ 第13話 ] |
− がらがらがら − アルファが初瀬野家の玄関をくぐる。 「ただいまぁ。」 しかし返事はなく、家の奥がなんだか騒々しい。 「?」 とりあえずブーツを脱ごうと座るが、いきなりドタドタと何かが近づいてくる音に振り返る。 !?っ
「むがっ」 そしてバランスを崩した彼女は、なすすべもなく後ろ頭を地面にぶつけるのであった。 ... ... ... 「お、気がついたか。」 「あれ? 私...?」
「それ...?」 「君が目を回したのはこいつのせいだよ。」 そいつはアルファの方を見て盛んにしっぽをふっている。 「いぬ?」 「そう、犬。」 「どーしたんです? その仔。」
そう言うあいだに、膝を抜け出した話題の主が、アルファのまわりをうろうろする。 そんな様子を見ていたアルファが、ふいに小さな顔をちょんっとつつく。 まばたきしただけの彼は、目の前の人差指に鼻をひくひくさせている。 「犬なんて初めて見ますよ、私。」 まだ人差指の匂いをかいでいる。
「じゃぁその時に...」 今度は人差指をなめだした。 「うん。こいつの親もペットじゃなくて、畑、耕してるんだよ。」 「ありゃ、そうなんですか。へぇぇ。」 − カリッ − 「痛!」 出したままの人差指を噛まれたのである。 「コラ! あー、えっと...」 叱ろうとするが名前がつづかない。 「この仔、なんて言うんです?」
逃げてきた仔犬を抱き上げながら、笑って言う。 「何かないかな?」 「ん〜」 ちょっと上を見ながら眉根を寄せて考える。 その間、宗一郎は仔犬と遊んでいるだけである。 「あっ」 「思いついた?」 「んん、その仔の名前じゃなくて、私のホントの名前って結局どうなったんだろうって。」 含み笑いしながらそう言う。 「...あぁっ!」 宗一郎も思い出して笑い出す。 それは7年も前の話。 ”アルファ”とはホントの名前が決まるまでの仮の名として呼ばれたものだったはずだ。 「う〜ん、父さんももういないし、永遠に保留だな。」 初瀬野教授が亡くなって既に2年、二人の中でもこんな話題にすることができるようになっている。 「ま、気に入ってるからいいんですけど。」 「すると、こいつの名前もそんな深く考えなくてもいいかも知れんなぁ。」 「あ、そういうこと言うんですね?」 「いやいや、気軽に考えたほうがいいこともあるってことだよ。」 唇をとがらすアルファを苦笑してなだめる。 「誰かの名前とか、色の名前とか...」 「! それじゃ、”テキ”!」 「てき?」
空中に書いてみせる。
「あぁ、こないだ借りてった本か。」 「うん。」 再びうろうろしていた仔犬をつかまえる。 「ほら、この仔の茶色と黒の具合なんか雉子っぽいでしょ?」 「言われてみれば。でも、セントバーナードってみんなこんな色なんじゃ?」 「う...気軽に考えろって言ったのに...」 「そ、そうだな。”テキ”、うん、響きもいいじゃないか。」 慌てて取り繕う。 そんな時だ。 − カリッ − 「いっ」 アルファの指に味をしめたのだろうか。 「テキっ!」 盛大にそう言うと、部屋の外まで逃げていったテキを追いかけてダッシュ。 「こらーっ」 一人残された宗一郎は、誰にともなくセリフを続けていた。 「...それに、叱りやすいしね...」 そして、彼の耳に聞こえてくるものは、今までにない生活の予感であった。 「待ちなさーい!」 |
−あとがき− 本編にはカケラも出てこない犬のお話です。ひょっとして絶滅の設定があるんじゃないかと疑ったこともありましたが、まぁそんときはそんとき。(笑) こいつは、この後も初瀬野家が舞台になるときはいつでも出てくるでしょう。 オーナーが旅立ってしまった後も数年間アルファをなぐさめてくれます。 なんでセントバーナードかって言うと、私の趣味です。 じゃなくて、使役犬として生き残る確率が高いんじゃないかと思ったからです。 まぁ、秋田犬でも風貌はよく似てるから、やっぱり趣味かな。(笑2) ところで、名前の「てき」、常用漢字じゃないんで表示できるフォントがありません。 それにしても仔犬ってのは可愛いっすよねぇ。これ書きながら、うちの老犬にもそんな時代があったのかとしみじみ思い出していましたが、キャンキャンうるさかった印象が妙に強かったり。 |
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