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[ 第16話・第4章 ]
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2065年:Sacrifice
 
      「シミュレーション結果、出ます。」
 
 オペレータの声とともに、一番大きなスクリーンの映像が切りかわる。
 ゼロ
 Phoenixを斜め上から見たところが表示され、右下の時間が−5分から 0 に近づいていく。
 
 実時間で数秒もすると小さな物体が表示範囲に入ってきた。
 
 そいつは部屋の大半の者が注視するなか、時間 0 と同時に船体の表面で砕け散る。
 
 被害予測の画面が、4層あるシールド外装の1層目だけの破損を伝えていた。
 
 時間がプラスに進むにつれて多くの破片は表示範囲から消えていくが、
 赤丸で囲まれた一番大きな破片がスクリーンの端にくると、画像全体の縮尺があがり、
 より広範囲が映し出される。
 
 すると、破片が飛んでいく先に、恐らくは軌道ステージの残骸とおぼしき物体が画面に入ってくる。
 
 二次衝突。
 
 残骸は破片の何倍もあったが、衝突により思いのほか大きく軌道を変えた。
 
 この時シミュレーション時刻は+31時間、あと数時間で地球を一周してきたPhoenixが、
 一日前と少しだけ違う軌道をやってくる。
 
 だがそこには、まさしく破片に弾かれた残骸がいた。
 
 
 まるで狙ったかのように船体のほぼ中央あたりにぶつかり砕ける。
 
 
 −それだけだった。
 
 なにより質量差がとてつもなくあるため船全体への影響はまったくないといえた。
 
 被害予測は2層目までの破損を伝えていたが、まだ余裕がある。
 
 
 「...まぁ、こんなもんだろうなぁ。」
 
 恰幅のいい運航主管が、さもありなん という顔で言う。
 
 最近でこそ皆無になったが、この程度の衝突は過去にも幾度かあったし、たいした影響もなかったのだ。
 
 「この後破片がさらに拡散しますが、100時間先までのシミュレーションでは大きな接触はないですね。」
 
 オペレータも自分の前のいくつかの画面から詳細なシミュレーション結果を読んで言う。
 
 「よし、30時間後に接触予報。 監視体制は現状を維持。」
 
 主管の決定により、みんないつもの仕事に戻る。
 
 軌道周辺は常に監視したいところだが、今ではPhoenix本体のレーダーしか利用できないため、
 1回目のように不意の衝突が防げないのが実状である。
 
 シミュレーションによりそれを補うようになって既に久しく、接触予報の手順も確立されている。
 
 『ま、取り越し苦労で済んで良かったかな。』
 
 運航管理の実行要員であるニックもそう思うと船内の巡視に戻っていった。
 

 
 翌日 バー ≪ギルガメッシュ・タバーン≫
 
 遊興に少ない船内では大変重宝されており、蒸留酒から柿の葉茶まで扱っている。
 
 「じゃぁ、かんぱーい!」
 
 ニックの音頭でグラスを交わすアルファである。
 
 「でもなんのお祝いなの?」
 
 一口飲んでから、なんとなく引っ張ってこられた彼女が聞く。
 
 「ん? 1年ぶりのデブリストライクもなんてことなさそうだからさ。」
 
 「それっていつものことだと思うけど。」
 
 冷静な指摘である。
 
 「まぁ、いいじゃない、オレの嬉しいことにつきあってよ。」
 
 「ん、ま、いっか。」
 
 少し首を傾げながらもベルモットに口をつける。 ひとの喜ぶ顔もいいものである。
 
 「そうそう。」
 
 なんて言ってニックも自分のグラスを傾けながらホントの祝いごとを思っていた。
 
 すなわち、アルファが自分と一緒に歳をとれる可能性について。
 
 
 しかし、それからわずか10分後、1杯目も飲み終わらないうちに、
 ニックの肩でコミュニケーターが震える。
 
 「ん?」
 
 「なに? 呼び出し?」
 
 「今はOFFタイムなんだがな。」
 
 などと言いながらイヤホンをつけ、襟元のマイクで交信する。
 
 「ニックだ。...ああ。...は?...........すぐ行く。」
 
 インカムの通話ボタンを離すと、アルファが心配そうに見つめていた。
 
 「御名答、呼び出しだ。」
 
 水を飲んで席を立つと、アルファも立ち上がる。
 
 「私も行くわ。」
 
 「え?」
 
 「ゴメンね、ジョーカー。」
 
 カウンターの向こうのバーテンに飲み残しを詫びて、ニックの背中を押す。
 
 「急ぐんでしょ?」
 
 「あ、あぁ。」
 
 アルファがどうして一緒に行くと言い出したのか戸惑うニックだったが、自分が
 悪い予感が当たってしまったような顔をしていることに気づいていなかった。
 

 
 ブリーフィングルームには運行管理要員のほぼ全てと他部署の顔も幾人か集まっている。
 
 椅子にあぶれた者が壁際に立っており、二人もそれに加わった。
 
 予定のメンバーが揃うと主管が切り出す。
 
 「昨日のシミュレーションなんだが、あれからより詳細な検証を行ったところ、
新たに重大な影響が予測されることが判明した。」
 
 非常呼集されたときに大方の予想はしていたのだろう、皆に動揺はない。
 
 主管もそれを確認するとシミュレーション担当のロイに後を任せる。
 
 丸メガネをずり上げながらスクリーンの横に立った彼が要点をかいつまんで説明する。
いわ
 曰く、
 
 局所的には第3層の外装が損傷を受けること。
 船体外周部には循環系のシステムが多く存在すること。
 接触により左右両舷プラントの循環系が混合する公算が非常に大きいこと。
 
 数枚の画像を使ってそこまで説明したところで全員を見回す。
 
 いくらかの反応を期待した彼だったが、聞き手に動きはなかった。
 
 物理的な損傷が小さく、多くの者がそれが危険であると感じられなかったためである。
 
 しかし、もちろん青い顔をしている者もいた。
 
 「つまり、この間のウィルスが?」
 
 横で顔をこわばらせるアルファを見て、結論を待てずにニックが口を出す。
 
 「そう、まさしくその通り。」
 
 丸メガネの彼も少し神妙な顔で説明を続ける。
 
 スクリーンに循環系の混合から、無事だった左舷側の感染、食料の枯渇に至る流れが図示されると、
 ようやく事の重大性が認識された。
 
 
 場がざわつき始めたところで、話が主管に戻る。
 
 「猶予は17時間だ!」
 
 スクリーンにタイムテーブルが表示される。
 
 現在を0として10時間後に二次衝突、17時間後にPhoenixへの接触となっている。
 
 「対策のセオリーとしてはふたつ。接触を回避するか、接触しても構わないように準備するか、だ。
案はないか?」
 
 対策の考案にはブレインストーミングのスタイルが採られた。
 
 既に危険を充分に承知していたため活発な意見が交わされる。
 
 破片や軌道ステージの粉砕、あるいはどちらかの軌道変更、Phoenix自身の速度や軌道の変更、
 危険が去るまで循環系を止めておく案や、接触までにカウンターウィルスを製造する、
 といったものまで発案された。
 
 最後の案は、リヒターの、
 「100%不可能だ、最低10日はかかる。」
 という発言に消えていった。
 
 装備されていた誘導弾は既に使い切っていて粉砕案も実行不可。
 
 現在の定常状態を崩す恐れのあるPhoenix自身の状態変更は余計に危険。
 
 循環系も何日も止めるわけにはいかない。
 
 結局、二次衝突かPhoenixへの接触を回避すべく、破片たちの軌道変更シミュレーションが行われた。
 
 その結果、二次衝突の回避は時間的に不可能であり、Phoenixへの接触も不可避であることが判明する。
 
 ただし、軌道ステージ残骸の軌道を変えることは充分可能と計算された。
 
 
 そして非常呼集から2時間後、対策案が決定する。
 
 最終的にスクリーンにはこう表示されていた。
 
    7時間後:
8時間後:
12時間後:
13時間後:
14時間後:
15時間後:
ロケットブースター装備のランチ発進
二次衝突
軌道ステージ残骸に到着、ブースター装着開始
ブースター点火、残骸の軌道変更開始
(軌道変更開始限界点)
Phoenix到達
 
 ランチへのブースター装備に手間どるため出発が遅れるが、
 一応限界点まで1時間の余裕があるタイムテーブルになっている。
 
 「この通りにいけば循環系が混ざり合う心配のない、左翼に15%程寄った位置にぶつかることになる。」
 
 シミュレーション結果を映す画面を見ながら担当のロイがホッとした口調で言う。
 
 みなも安堵の表情を隠せない。
 
 だが問題はそれで終わりではなかった。
 
 「あとは、誰が行くか、だな。」
 
 主管が自分の部下たちを見回して眉間にしわを作る。
 
 急ごしらえの改造ランチのため、元来搭載されている航行システムでは心もとない。
 
 さらに軌道ステージ残骸とのランデブーはマニュアルで行う必要がある。
 
 ランチが、ガイドビーコンによるオートランデブーの機能しか持っていないからだ。
 
 他の航行システムがあればよいのだが、現在のPhoenixでは望むべくもなく、
 必然的にミッションの遂行にはかなりの危険が予想された。
 
 
 しばらく悩み顔の主管だったが、一人だけを選ばねばならない。
 
 「この中でマルチアクセストレーニングが得意な者は?」
 
 ランチの操縦は彼の部下なら全員ができる。
 
 このミッションで重要になる三次元的な感覚を問うているのだ。
 
 みな顔を見合わせるなかで一歩前に出る者がいた。
 
 「私です。 Aをいただいてます。」
 
 ニックである。 Aとは実に優秀な成績だ。
 
 ところがその隣の人物も名乗りを上げる。
 
 「私も Aでした。」
 
 アルファだ。
 
 管理要員ではないが、Phoenix搭乗前の訓練を受けて以来、船内での訓練にもよく参加している。
 
 それにアルファタイプはもともと運動が得意である。
 
 「お、おい!」
 
 まさかの行動にニックも驚く。
 
 「君は管理部じゃないだろう?」
 
 「この際、部署は関係ないでしょ?」
 
 「それに力仕事だってある。」
 
 「私が適任よ。 ウィルスの件がなければ行く必要のないことだもの。」
 
 「!」
 
 そう言われて、彼女の気持ちもわからないではないニックはそれ以上の説得をやめた。
 
 どちらが選ばれるか、わかっていたからでもある。
 
 そして経験と実績のあるニックが当然のごとく任命された。
 

 
 その後すぐ他の役割が分担され、それぞれが行動を開始する。
 
 だが、みなが部屋を出ていく中、アルファは壁にもたれてうつむいていた。
 
 部署の違うアルファにすべき仕事はない。
 
 気がつくと部屋はニックとアルファだけになっていた。
 
 ニックのとりあえずの仕事は休息である。
 
 「どした?」
 
 「.....」
 
 返事のない彼女の顔を覗き込む。
 
 「ん?」
 
 「私のせいで大変なことになってるのに、何もできないのがちょっとね。」
 
 ニックの顔をちらっと見て言う。
 
 「その上 あなたまで危険な目に遭わせようとしてる。」
 
 「君のせいじゃないって言ったろ?」
 
 客観的に考えてアルファに非はない。
 
 「でも...」
 
 だが当事者にとってはその感じ方も違うだろう。
 
 「ホントに私が行ければよかったのに。」
 
 「もうオレに決まったんだからまぜっかえすなって。」
 
 「A4がいればみんな任せたのかな?」
 
 「んーそうだな、こんな時のためのA4だからな。」
 
 当初は何体もいたA4たちも、今では完動品は一体もない。
 
 壊れた部品は交換すればよいという前時代的な思想の欠点を露呈していた。
 
 ニックは応えてから、その言葉の裏に気づく。
 
 「言っとくけど、こんな時のためのアルファじゃないからな。」
 
 少しだけ不機嫌さを含んだ声でクギをさすと、彼女も自嘲気味に微笑む。
 
 「うん、わかってる。」
 
 と言うものの、口の中でつづきをつぶやいていた。
 
 「それでも私はやっぱり人間じゃないから...」
 
 それが果たして聞こえたのか、ニックが務めて明るい口調で言う。
 
 「ま、行きたかったらオレを殴り倒して行くこったな。」
 
 「!」
 
 顔を上げてまじまじと彼を見るアルファ。
 
 一瞬ホントに殴られるかと不安に思うニック。
 
 が、何を思い立ったのか彼女は笑顔をふりまいてきた。
 
 「ね、待機までまだ時間あるでしょ?」
 
 「ん? ああ、3,4時間くらいだけど。」
 
 「さっきの乾杯のつづきしない?」
 
 「は?」
 
 少し意表を突かれて真意を探りかねるが、彼女が返事を待っている。
 
 「い、いいけど。」
 
 「じゃ、さっそく。」
 
 そう言って二人して部屋を出るが、通路が別れているところでアルファが立ち止まる。
 
 「あ、ちょっと先に行ってて。 すぐに行くから。」
 
 「なに?」
 
 「うん、ちょっとね。」
 
 よくわからない笑顔でそれだけ言うと、別の通路に走って消える。
 
 残されたニックは頭の上に?マークを3つほど浮かべていた。
 

 
 ギルガメッシュ・タバーン。
 
 船内標準時では普段ならにぎわっている時間だが、管理部からの通達があったのだろう、
 店には誰もいない。 バーテンさえいなかった。
 
 もっともジョーカーは趣味でバーテンをやっているだけで、彼が本来の仕事はをしているときは
 セルフサービスが常になっている。
 
 先に着いたニックがカウンターの中で酒を物色しているとアルファもやってくる。
 
 すると彼が手に持つオレンジリキュールを見てたしなめる。
 
 「待機まで3時間でしょ? ノンアルコールの方がいいんじゃないの?」
 
 「んー、じゃこれくらいかな。」
 
 そう言ってグラス2個とスカッシュのビンをカウンターに置く。
 
 ニックがストゥールに腰掛けるとアルファが炭酸飲料を注ぐ。
 
 「ま、こんな時の乾杯は気がひけるけどね。」
 
 「ミッションの成功には自信あるんでしょ? 景気づけってことで、ね?」
 
 「そうだな、じゃ、」
 
 と、グラスに手を伸ばしたところでアルファがニックの後ろに視線を向ける。
 
 「あ、ネコ。」
 
 「ん?」
 くだん
 背中を振り返って件のネコを探す、が見つからない。
 
 「どこ?」
 
 「あれ? ネコだと思ったんだけど。」
 
 「あ、あれじゃないか?」
 
 今度はニックがアルファの向こうに目をやる。
 
 彼女が振り返ると、少し太りぎみの赤茶のネコが開け放しのドアから出ていくところだった。
 御丁寧に彼らに、にゃぁと一声鳴いて。
 
 「あ、ホント。」
 
 「ネコ見るのも久しぶりだな。」
 
 船内では確かにイヌやネコが暮らしているが、繁殖は管理され決して多くはない。
 
 ただ、今ではノアの方舟的な意味あいも論じられるようになっている。
 
 もっともアルファの口ぶりはそれ以上の驚きを含んでいたようだったが。
 
 「ま、いいや、とりあえず乾杯!」
 
 「うん、乾杯!」
 
 二人とも笑顔でグラスを交わして半分ほどを飲む。
 
 その後しばらく、とりとめもない会話やミッションについて話していると、
 ニックが大アクビをして、とろんとした眼になる。
 
 「う、あれ...」
 
 と、そのままカウンターに突っ伏してしまい、寝息をたて始める。
 
 「ごめんねニック、このミッションは私がやらなきゃいけないのよ。
...それにあなたには行かせたくないの。」
 
 寝顔をのぞきこみながら、アルファがすまなそうに言う。
 
 さっきニックが後ろを見たときに、グラスに睡眠薬を入れておいたのだ。
 
 もう一度ニックを見てから意を決したように立ちあがる。
 
 10時間は目を覚まさないニックの代わりになるために。
 
 ところがそのまま、また座ってしまう。 表情が苦しげだ。
 
 「え? どうして...」
 
 それだけ口からもらすとアルファも静かな寝息をたて始めてしまった。
 
 はたから見れば仲良く酔いつぶれているようである。
 
 そう、アルファのグラスにも睡眠薬が入れられていたのである、もちろんニックによって。
 
 
 
 数分後、ニックが眼を覚ます。
 
 「う゛〜」
 
 ひとつかぶりを振って頭をはっきりさせると、眠っているアルファと腕時計を交互に見る。
 
 「なんとか効いたようだな。」
 
 アルファの行動を読んであらかじめ中和剤をふくんでいたニックである。
 
 『まったく、俺が気がつかないわけないじゃないか。』
 
 優しい眼でアルファを見るニックだったが、普段の彼女の鈍感ぶりを思い出して、
 
 「ま、らしいっちゃらしいか。」
 
 苦笑しながら、つい口に出す。
 
 『ホント、俺とおんなじ薬が効くんだし、どこが人間じゃないんだか。』
 
 そう微笑んで、もう一度アルファの寝顔に目を移す。
 
 
 『さて、待機まであと1時間くらいか。』
 
 腕時計を見て確認する。
 
 『アルファは10時間は眼が覚めないだろうけど、どうするかな?
このままほっとくわけにもいかんし...』
 
 しばし考えるが答えは多くない。
 
 以前、彼女がへべれけに酔っぱらってしまったときと同じである。
 
 ひとつ溜息をつくとストゥールから彼女を抱き上げる。
 
 「う〜ん、むにゃ むにゃ...」
 
 前は酒くさいだけだったが、今は妙にかわいらしい。
 
 が、ヘンな気を起こすとやばい、と警告する理性が残っているうちにドアに向かう。
 
 
メイファ
 明花の私室。
 
 「そんなわけでお願いします。」
 
 「あぁ、わかったよ。 あんたこそちゃんとやっといでよ。
無茶すんじゃないよ。」
 
 「はいはい。」
 
 アルファを彼女に預けると、説教が始まる前に立ち去る事に成功した。
 
 もう一度 腕時計を見る。
 
 ミッション終了予定まで...10時間。
 

 
 11時間後。
 
 アルファが目を覚ます。
 
 「え? あ?」
 
 「気がついたかい?」
 
 「あれ? 明花さん?」
 
 当然の事ながら状況が把握できないアルファである。
 
 明花は彼女が眠らされた経緯を手短に説明すると、オペレーションルームに行くようかす。
 
 部屋の時計を見る。
 
 限界点まで15分を切っている。
 
 「うそっ?」
 
 この段階でミッションが完了していないのはトラブルの発生を意味していた。
 
 一気に頭がハッキリしたアルファは、すごく嫌な予感を胸に明花の部屋を飛び出す。
 
 
 オペレーションルームに入るとそこは緊張感に満ちていた。
 
 「点火!」
 
 スピーカーから焦りを含んだニックの声がする。
 
 ランチから送られてくるリアルタイム映像をうつすスクリーンの中でブースターが炎を噴き出し始めた。
 
 限界点まで10分のところでようやく軌道変更開始である。
 
 
 シミュレーション通りに事が運んだのは軌道ステージ残骸に到着するところまでだった。
 
 周囲を飛び交う破片のせいでランデブーに手間取り、
 残骸への2基のロケットブースター設置が完了したのがついさっきである。
 
 なにはともあれ点火が間に合って、それまでの焦りから一転、ホッとした雰囲気が流れる。
 
 だが来たばかりで冷静なアルファと現場のニックの声が重なる。
 
 「「ダメ(だ)!」」
 
 「1基しか点火してない!」
 
 その声に一旦はわきたった部屋の中も再び凍りつく。
 
 「点火シーケンス・リスタート!」
 
 ニックの声が続く。
 
 「...点火!」
 
 2基目に変化はない。
 
 限界点までもう間がない。 いや、1基でも噴射しているから少しは遅らせられているはずである。
 
 「限界点を再計算!」
 
 スクリーンを見たまま主管がロイに命じる。
 
 言われる前に計算に入っていた彼からはすぐに答が返る。
 
 「限界点まで約36分!」
 
 もちろん2基目が正常に噴射した場合の値である。
 
 「聞こえたか?ニック、焦らずもう一度だ。」
 
 「了解。 システム・セルフチェック.....オールグリーン。
点火シーケンス・リスタート...3.2.1.点火!」
 
 全員が見守る中、1基目の噴射に照らされる2基目は、やはり沈黙を続けていた。
 
 同じ操作がもう一度繰り返されるが、結果も同じである。
 
 再計算された限界点も刻一刻と近づいてくる。
 
 ランチをぶつけたところでほぼ無意味だ。
 
 スクリーンの中のニックが気密ヘルメットに手を伸ばすと、
 スピーカーが意を決した彼の声を流す。
 
 「これよりマニュアルでの着火を試みる。」
 
 それで点火するかはわからないが、他に手はなかった。
 
 「了解、こちらも準備する。」
 
 マニュアル着火など予定になかったため、ニックに手順を教える必要がある。
 
 「船外に出る。」
 
 ヘルメット・マイクのためスピーカーからの声も少し質が変わっている。
 
 もちろん船外活動の予定もなかったが、既に予定などあってなきがごとしだ。
 
 ランチの壁を思いきり蹴る。
 
 スーツの肩や手足に小さな噴射口を持つAMUでコントロールしながら2基目にとりつく。
 
 ブースターのアクセスパネルはランチのカメラからは死角になる位置にあったが、
 白いスーツが見え隠れしている。
 
 「準備良し。」
 
 しかしブースターの操作手順書がまだ呼び出せていない。
 
 「すまん、少し待て。」
 
 ニックがヘルメット内の時計を確認する。
 
 限界点まで20分、多少の余裕がある。
 
 「さっきアルファの声が聞こえたけど?」
 
 「ええ、ここにいるわ。」
 
 ほんの一言で気がついたことに少し驚きながらもマイクを借りるアルファである。
 
 「やぁ、眠り姫様、予想より御寝坊さんだな。」
 
 「ikari markそう言うニックこそ眠り足りないんじゃなくて?」
 
 この時、船内標準時ではもう朝である。
 
 「なに、これが終わったらゆっくりするさ。」
 
 「じゃ安心して、まだ残ってるからたっぷり眠らせてあげる。」
 
 ホントは励ましの言葉でもかけたいアルファだったが、ついニックに合わせてしまう。
 
 そこへ少しだけすまなそうな声で主管が割り込む。
 
 「準備OKだ。」
 
 それから10分ほど担当技官がニックと手順を追っていく。
 
 「よし、あとは赤いボタンで点火するはずだ。」
 
 限界点までもう間がない。 減速に備えて身体を固定するとすぐにニックがカウントする。
 
 「カウント3.2.1.
 
 !!!
 
 ブースターは一瞬機体を震わせたかと思うと盛大な噴射を始めた。
 
 今度こそ、部屋中が沸き立つ。
 
 リアルタイムに軌道予測を表示している画面は15分後に10%左翼寄りに衝突することを示している。
 
 当初の予定ほどではないが充分安全と言えた。
 
 それを確認した主管がようやく安堵の溜息をつく。
 
 
 しかしまだアルファだけは胸騒ぎを抑え切れていなかった。
 
 「ニック? あと15分で衝突よ、早く離脱して。」
 
 努めて落ち着いた声で促す彼女だったが、さっきの場所にニックの姿はなかった。
 
 だが、スーツの発信器はすぐ近くに捉えられている。
 
 「聞こえてるの?ニック?」
 
 「.....」
 
 返事は少し遅れてやってきた。
 
 「ああ、聞こえてるよ。 減速で少し飛ばされただけだ。
今ランチに戻る。 .....あれ?」
 
 
 スクリーンを探すと左下に白いスーツがもがいている。
 
 拡大すると何か左腕に絡まっているようだ。
 
 「どうしたの?」
 
 わきあがる不安。
 
 「ワイヤーが絡まって外れん!」
 
 声に焦りが含まれている。
 
 減速のショックで飛ばされた時に残骸の剥き出しのワイヤーに捕まってしまったのだ。
 
 その声に主管たちもまたスクリーンに目を戻す。
 
 「トーチで焼き切れ!」
 
 誰かの声に背中のツールボックスから作業用のトーチを取り出し、ワイヤーを焼く。
 
 アルファも祈るように見つめている。
 
 強力なトーチのはずだがワイヤーも耐熱鋼らしく一向に切れる気配がない。
 
 「他のランチは出せないんですか!?」
 
 アルファが懇願するが、主管は首を振る。
 
 「ダメだ、ドックの減圧に30分かかる。」
 
 − PiPi −
 
 衝突まで10分の警告が鳴る。
 
 このままではPhoenixとの衝突で押し潰されるのは目に見えている。
 
 アルファが表情を変えた。 祈りから決意へ。
 
 その間も脱出案が指示される。
 
 「ワイヤーの根本は壊せないか!?」
 
 ニックが根本を探すが、いくつものワイヤーと交錯していて見つからない。
 
 他の工具も役に立たなかった。
 
 一番可能性のあるトーチをもう一度試す。
 
 だが、
 
 眼下にはPhoenixの船体が迫っていた。
 
 残り1分。
 
 トーチのトリガから指を離す。
 
 ニックの落ち着いた声が言う。
 
 「アルファ、いるかな?」
 
 部屋の中がしんとなる。 が、当人が見つからない。
 
 その時、
 
 「あきらめないで!」
 
 アルファの声が聞こえる。
 
 と同時に100mほど先のベイがいきなり開いてランチが吐き出される。
 
 減圧せずに強制排出したためエアと一緒に放り出されて木の葉のように舞っている。
 
 しかし数瞬後にはその三次元の回転は止まっていた。
 
 オートコントロールも利かない急な運動をアルファが止めたのだ。 神業と言っていい。
 
 
 こちらに向いて急加速するランチの窓に彼女が見える。
 
 『マダシヌワケニハイカナイ』
 
 だが船体はもうすぐそこまで来ていた。
 
 ニックの脳裏に最後の手段が浮かぶ。
 
 腰のコントローラーでAMUを最大上昇にセット。
 
 
 「アルファ、ちゃんと拾ってくれよ。」
 
 思いのほか穏やかな声がスピーカーから聞こえる。
 
 窓の向こう、まだ親指ほどのニックが自分の二の腕にトーチをあてるのがわかる。
 
 その先は見ていなかった。
 
 すぐさまヘルメットを被るとエアロックに走る。
 
 「ランチの操作、任せます!」
 
 オペレーションルームにそう言って、外に飛び出す。
 
 その瞬間、残骸がPhoenixに激突!
 
 目の前で音のない破壊が繰り広げられる。
 
 だがそんなものに構っていられなかった。
 
 飛び散る破片を巧みによけながら、漂うだけの白いスーツに急ぐ。
 
 ニックにたどり着くと、途端にバイザーが赤く染まる。
 
 一瞬息をのむがツールボックスから細身のロープを取り出すと彼の左上腕をきつく縛る。
 
 ニックの左肘から先は無くなっていた。
 
 
 真空中で切断するなど自殺にも等しい行為だが、確実な死よりはまだ可能性があった。
 
 いや、今、自分を抱きしめてくれている人がいるからこそか。
 

 
 「ニック! 目を開けて! ニック!!」
 
 聞き慣れた声に目を覚ますと、いっぱいの涙をためたアルファの顔がすぐそばにあった。
 
 少しの間気絶していたらしい。
 
 「ニック!?」
 
 「あ? アルファ?」
 
 返事をすると彼女もようやく安心したようだ。
 
 それでも目のあたりを拭いながら涙声で言う。
 
 「よかった、死んじゃったら、どうしようって、死んじゃったら、
 
 「大丈夫だって、俺は...ッ!」
 
 上体を起こそうとして痛みに顔をしかめる。
 
 「あ、止血はやり直したけど動かさないで。」
 
 見ると傷口はガーゼや包帯で覆われている。
 
 ランチに常備されているファーストエイドキットのものだろう。
 
 トーチによる切断で焼けているとはいえ、真空にさらされた傷の出血はひどかったはずだ。
 
 脇の下がゴロゴロしているのは、そこ(腋下動脈)で止血してあるからである。
 
 「でも間に合ってよかった、ホント。」
 
 無茶をしたことについては何も言わない。 生き残るためのあれが唯一の手段だった。
 
 「俺は信じてたよ。 ありがとう。」
 
 そう穏やかに言って傍らに座るアルファの左手を握る。
 
 アルファもその上に自分の右手を重ねる。
 
 
 言葉の要らない時間が流れていた。
 
 
 そしてアルファは、今ハッキリと感じていた。
 
 この人を失いたくない と。
 
 
 しかし、それは気の迷いかも知れないとも思えた。
 
 そいつがまた余計なことを言うからだ。
 
 「ま、アルファの胸で死ねれば本望だけどな。」
 
 「お、怒るわよ!!」
    
 

  つづく  
 

 
     −なかがき(4)−
 
 「パートナー」第四章、いやもう読んだ通りの話しです。 既にヨコハマとはかけ離れた世界に突入していますが、これはそーいう話しなんでもうこのまま行きます、読者がついてきてくれることを祈りつつ。(笑)
 
 しかしこの二人、何かないと絶対進展しないよな、性格的に。(爆)
 
 で、物語はこの後、いよいよ...
 
 それはそうと。
 Phoenixの地球を1周する期間は40時間弱を見込んでいます。(インターミッション4参照) OSS第4話で高度を200km程度としましたが、その場合、揚力による抗重力がほとんど見込めないので本来ならもっと短時間(1.5h)でまわってるはずですが、まぁちょっち矛盾。(苦笑)
    


第16話・第3章 目次 第17話

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