接続詞の働きと種類
列挙、連接
選択
反意、対照、逆接
同格
時間、場所
原因、理由、譲歩
条件、様態
「準接続詞」
接続詞のさまざまな用法
そのほかの話題
寄り道
接続詞もマジメに考えるとあれこれ難しい問題が横たわっているよう なのですが、のほほニスモを貫いて、ごくごく簡単な紹介に留めます。
主語と述語とそれに付随する要素を並べれば文はできますが、そのま まではひとつひとつの事実とか、感想とか、考えとかがバラバラのまま 雑然と存在しているだけです。
Hodiaux mi deziras foresti. -- 今日は休みたい。
Cxi-matene estas hela. -- 今朝はよく晴れている。
Mi malvarmumis. -- わたしは風邪を引いた。
Veturoj kuras. -- 車が走っています。
Kial tiu knabacxo ridegas idiote? -- なんであのガキは莫迦みたいに 高笑いしているんだ?
Mi ne sukcesis je trapasi la ekzamenon. -- わたしは試験に受からなかった。
Rozoj ridetas cxarme. -- 薔薇の花があでやかに笑っている。
En sxia posxo trovigxas plenplenaj korvundoj. -- あの娘のポケットには こぼれそうなほどの傷心が詰まってる。
Kiam vidigxas verdaj folioj kaj auxdigxas el monto eta-kukoloj, oni volas mangxi unuajn bonitojn. --
目に青葉 山ホトトギス 初鰹 (ホントか?)
Cxiam kusxas rivero tuj antaux miaj okuloj kiam mi tie alvenis. --
そこにたどり着けばいつでも眼前に川があった。
しかし、世の中は何もかもバラバラ、なのではなく、さまざまなもの ごとが関係しあったりフクザツに絡み合ったりしてできている――人は そう考えたくなるものです――ので、何かしらの〈つながり〉を表した くなります。
上の文の羅列も、読んでいるとなにかしらつながりがありそうな気がし
てくるでしょ? 一箇所を除いて(^^)
次のようなふたつの文があるとき――
1番目が2番目の理由になっているのなら、「これが理由なんだ」とハッ キリさせたくなる。本人は言いたくなくても、回りの人は「どうして休 みたいの? 何かあったの?」と訊きたくなります。もちろん場合によっ ては、2番目が1番目の理由になる時もありますね。ね。ありますよね。
逆に、次のような場合は、
このふたつの文は「それなのに」という思いを込めてつなぎたくなりま す(「真面目に勉強したから受からなかったんだ」と言うこと もあり得ますが……)。
つなぎたい気持がさまざまなら、つなぎ方もそれに応じてさまざまで す。
「あれとこれとそれ、そしてこれも」などの ように、単にものごとを列挙することがありますが、この「と」や「そ して」はエスペラントでは接続詞とされます。
「あれ、またはこれ、あるいはそれ」などというとき の「または」や「あるいは」も接続詞です。
「彼女は自分の弟に接するように彼の面倒を見た」というと きの「ように」も、「もし明日晴れたら、海に行こう」 の「もし〜たら」も、接続詞です。
ことばとことばをつなぐなら接続詞なんですが、つながれることばに 着目してみると、
など、いろいろに分かれます。
単語と単語、語句と語句をつなぐ場合、つながれる単語ないし語 句どうしは文の中で同じ役割を果たしているのが普通です。たとえ ば、「太郎と花子が買い物に行きました」という文では太郎、花子とも 文の主語です。「ぼくは春子と夏子が好きです」という文では、春子、 夏子は文の目的語です。主語と目的語とをつなぐ、などということは滅 多にありません。
Taro kaj Hanako iris butikumi. -- 太郎と花子が買い物に行きました。
Mi amas Haruko-n kaj Natsuko-n. -- ぼくは春子と夏 子が好きです。
二番目の例では、Haruko-n、Natsuko-nと、どちらに も目的語を示す対格語尾が ついている点に注意してください。
文と文とをつなぐ場合は、ちょっと複雑になります。「太郎はパンを 買いに行きました」という文、「花子はそのパンが大好きです」という 文は、どちらもひとつの文としてできあがっているものです。これをくっ つけようとすると、主部が二つ以上あったり、述部が二つ以上あったり というものになってしまいます。では複数ある主部や述部は互いにどう いう関係にあるのでしょうか? ここで、重文とか複文 とかいう、文の構造というものが登場します。
重文とは、複数の文が、同じ立場で連なっているものをいい ます。たとえばこんな形をしているものです。
Taro-san iris acxeti panon, kaj Hanako-san amas la panon. -- 太郎さんはパンを買いに行きました、そして花子さんはそのパンが 大好きです。
複文とは、複数の文が、主になるもの(主節)とそれに従属す るもの(従属節)とに分けられるものをいいます。たとえばこんな形です。
Taro diris ke li amas Hanako-n. -- 太郎は、自分は花子が好 きなんだと言った。
この例では、「太郎は〜と言った」が主節、「彼(自分)は花子が好きだ」 が従属節となります。複文では、従属節の主部や述部は主節の影響を受 けます。ただ、英語なんかでは「時制の一致」とかいう難しい問題も起 こるのですが、エスペラントの場合はそんなに気を使うことはないよう です。
ここまで述べてきて、どーものほほニスモに反して深い説明になって しまったなーと、筆者反省しております。これ以上のことはここでは触 れません。疑問や興味を持った人、もっと詳しいことを知りたい人は、 もっと詳しい解説書、文法書を読んでください。
ところで、どうして「普通の文には主部、述部ともひとつ」ということ になっているのでしょうか? 深く考えると不思議ですよね〜。え、不 思議じゃない? 失礼しました。
本来は接続詞ではないのだけれど、接続詞と同じような使い方をされ るものや、接続詞と考えてもいいような意味をもつことばがいくつかあ ります。
ここで紹介するものの中でも、時 間や場所の範囲や到達点を表すapenaux, dum, gxisは、副詞や前置 詞からの出張組です。また、疑問詞cxuも接続詞として使われます。
以下にこの言語の接続詞を挙げます。
接続詞 | 意味、働き | 訳例 |
---|---|---|
kaj | 列挙、連接 | そして |
nek | 否定の列挙、連接 | 〜もまた……ない |
aux | 選択 | または、あるいは |
sed | 反意、対照、逆接 | しかし |
接続詞 | 意味、働き | 訳例 |
---|---|---|
同位。同格であることを示すもの | ||
ke | 名詞節をつくる | 〜(という)こと |
cxu | 選択、疑問 | 〜か(どうか) |
時や場所を示す | ||
apenaux | 〜や否や | |
dum | 期間、 | 〜の間、一方 |
gxis | 到達点 | 〜まで |
antaux ol (準接続詞) | ある時以前 | 〜より前に |
post kiam (準接続詞) | ある時以後 | 〜の後に |
原因や理由、譲歩を示す | ||
cxar | 〜だから、〜なので | |
kvankam | 逆接 | 〜にもかかわらず |
malgraux ke (準接続詞) | 逆接 | 〜にもかかわらず |
条件や様態を示す | ||
kvazaux | 仮定? | 〜かのように |
ol | 比較 | 〜よりも |
se | 仮定、条件 | もし〜なら |
anstataux (準接続詞) | 条件 | 〜代わりに |
krom ke (準接続詞) | 条件 | 〜代わりに |
por ke (準接続詞) | 条件 | 〜ように、〜ために |
kajは、語と語、文と文をつなぎます。日 本語の「そして」とか、「あれとこれ」の「と」に相当します。
kaj A, kaj B という使い方で、「AもBも(AとBのど ちらとも)」という意味を表します。
kajはまた命令法との併用で「そうすれば」という意味も表します。
★
nekはkajの否定版で、ほかの否定語とともに 用いられ、否定の意味を込めて語や文をつなぎます。
nek A, nek B という使い方で、「AもBも〜ない」と いう意味を表します。
auxは日本語で言う「または」「あるいは」に 相当し、複数の語や文を列挙します。
aux A, aux B という使い方で、「AかBか(AとBのど ちらか片方)」という意味を表します。
Auxはまた命令法との併用で「さもないと」という意味も表します。
第8章で紹介するcxu も「選択」を表 す接続詞として用いられることがあります。
sedは前の文に対して逆接の意味を込めて後の 文を提示します。日本語の「しかし」「だが」に相当します。
1番目の例は、diligente(熱心に、勤勉に)とmalgaje(陰気に)と が「反意」と思うからsed を使っています。働くことがもともとつまら ないことと思っているなら、kaj を使うのでしょう。
sed はneと組んで次のような言い回しを形成します。
sed と同じような意味合いで使われることばにtamenがあります。 tamenは「本来副詞(原形副詞)」ですが、 「とはいえ」「それでも」といった意味を表し、時には接続詞のように 使われます。
ちなみに、cetere(そのほかに)、alie(他方)、kontrauxe(これ に反して)といった副詞が接続詞的に使われることもあります。「この 言語では副詞がけっこう重要な役割を果たしている」と思うゆえんのひ とつです。
keはその後に文を従えて、その文を内容とする 名詞節をつくります。
名詞節は別の名詞を修飾することができますが、修飾のしかたは〈限 定〉ではなく、同じ立場で並び立つような感じになります(う〜む、あ んがい説明が難しいな)。日本語でいうと、「○○という××」 の「という」に相当するでしょうか。
Ne forgesu la fakton ke ili trompis nin. -- 奴らがわれわれを騙していた(という)事実を忘れるな。
修飾される「別の名詞」ははっきり姿を現さないことも多いです(そ のような場合は、「代名詞tioが省略されている」などと説明されます)。 姿を現さないものだから、keが導く名詞節それ自体が名詞と同じように 使われているとも見えます。たとえば、ke節は文の主語にもなるし補語 にも目的語にもなりますが――
「ke節それ自体が主語や目的語になっている」と解釈することもできる でしょうし、「tioが省略されているんだ」と考えることもできるでしょ う。
ke節は名詞を修飾するだけでなく、関係 詞と絡んで複雑な文を形成するのにも使われます。
★
cxuも、keと同じように後に文を従えて、その 文を内容とする名詞節をつくります。keとの違いは、その 名詞節に疑問や選択の意味を含むところです。
本〈講座〉では、cxuは疑問詞として扱っています。 こちらを参照してください 。
時間や場所の範囲や到達点を表す接続詞として、apenaux, dum, gxis があります。
apenauxは副詞ですが、接続詞となって 、「〜するや否や」という意味を表します。
dumはもともとは前置詞ですが、接続詞となっ て、「〜の間」という意味を表します。
gxisももともとは前置詞ですが、接続詞となっ て、「〜まで」という意味を表します。
例もわざと同じようにしましたが、「〜の間」と「〜まで」というの は、多くの場合コインの裏表のような関係です。ただし常にそうし た関係が成り立つわけではありません。
Legu la frazojn gxis la fino. -- その文章を終わりまで読みなさい。
Legu la frazojn dum ili dauxras. -- その文章をそれが続いている間読みなさい。
(下のように言えなくもないだろうが、不自然)
Finu la taskon gxis vespero. -- 晩までにその仕事を終えなさい。
Faru la taskon dum tagas. -- 日のある間その仕事をやりなさい。
(同じく、不自然)
dumの後に置かれるのは「持続する状態」を表す文であること、一方 gxisの後には「ある事象(できごと)」が置かれることに注目しましょう。 なお、gxisには、gxis kiam(〜の時まで)という使い方もあります。 ある出来事の瞬間性に着目した言い方と言えます。
★
「準接続詞」と呼ばれるもので、antaux ol というのがあります。「〜より前に」という意味を表します。 比較対象を表すolを、時間の表現に転用したものと言 えます。
antaux olの反対がpost kiamです。 「〜(した)後」という意味です。
原因、理由の類を表す接続詞として、cxar, kvankamがあります。
cxarは疑 問詞のkialに照応するもので、「〜だから、なので」という意味を 表します。
原因、理由を表すには、 前置詞proも使 います。この場合、pro ke という言い方はできず、 pro tio keというように使います (これについては寄り道)。 なお、proを使うと理由ではなく原因の意味が強いように思います(個人 的感想です)。
上の例二つでは、下の方がよく使われるようです。
また、第8章で紹介する関係副詞tial もほぼ同じような使い方ができます。
★
kvankamは逆接の理由を表し、日本語 でいうと「〜ではあるが」「〜とはいえ」に相当します。
これと似たものとして、 前置詞malgraux を接続詞のように使うmalgraux keとい う使い方があります。
条件、様態の類を表す接続詞として、kvazaux, ol, seがあります。
kvazauxはたとえの意味を表します。 日本語の「まるで〜のように」「あたかも〜のように」に相当します。
kvazaux節は、たとえであり事実でないことが多く、その場合 は述語動詞を条件法(語尾-us)にします。
olは比較対象を表します。日本語でいうと 「〜より(も)」です。「比較級」の文でよく使われますが、一見比較とは 関係なさそうなところでも用います。
最初のふたつの例は、名格と対格とでは意味が変わってしまいます。 前置詞anstatauxやkromの後の名詞を対格にすることで意味を鮮明にす るのと同じですが、olはもともと接続詞なので、格の使い分けはき ちんとする必要があります。
seは条件の明示を表します。日本語なら 「(もし)〜ならば」に相当します。事実と異なる仮定を表すのにも使わ れます。その場合は述語動詞を条件法(語尾-us)にします。
★
日本語でいうと同じく「〜ように」となりますが、仮定ではなく条件 や目的を表すのがpor keです。
por keが従える節は、これから起こる出来事を表すこと、単なる仮定 ではなく意志を含むことから、上の例のように叙述語は意志法(-u)をと ります。
★
anstatauxやkrom keを「条件」に入れるのは無理があ るかも知れません。いずれも前置詞からの出張で、anstatauxは 「〜代わりに」、krom keは「〜ほかに」の意味を表します。
従属節の叙述語は直説法でいいのかな?
kajとauxとnekの使い方には、勉強の初期からわりと関心がありまし た。
コンピュータープログラミング、あるいは論理学をご存知の人ならお 判りでしょうが、この三つのことばは、厳密な論理を組み上げるための 必須の〈道具〉です。もちろん、形式論理の世界の用語と自然言語の用 語とで使い方が異なるのは当たり前ですが、いったどーゆー感じになっ てるのかなー、ということに興味がありました。結局、「英語なんかと あまり変わらない」ということが判ったんですが(苦笑)。
「AでありかつBである、ことはない(NOT (A AND B))」=「Aでない か、またはBでない(NOT A OR NOT B)」はNE A AUX NE B。
「AであるかBであるか、ということはない(NOT (A OR B))」= 「AでもBでもない(NOT A AND NOT B)」は、NE A KAJ NE B ですが、エスペラントには便利な単語があって、 NEK A NEK B と言えます。
つまんない話題でしたね。でも「エスペラントでプログラミングを語 ろう!」と思っている人がいたら、ちょっと頭の片隅にでも入れておい てください。
「pro keという言い方はできず、pro tio ke という」と述べましたが、筆者の思うに、これはヘンです。なぜ por keやmalgraux keやkrom keはいいのに pro keはダメなのでしょうか。「合理的」な理由がないように 思えます。筆者の邪推ですが、「por keやmalgraux keという使い方は 過去たくさんの用例があっていわば〈確立〉しているが、pro keはそう ではない」という程度の理由なのではないでしょうか。
エスペラントといえども自然言語ですから、ひょんなことからある用 例や語法が生まれるということもあるでしょう。それが広まって、使う 人がたくさんいるということになれば、その言い方は「認められた」と いうことになって不思議はありません。
por keという使い方ができるならそれとまったく同じ要領でpro keも できていいと思いますし、実際、その使い方もちらほら見かけます。筆 者としてはいちいちtioを挟むのが鬱陶しいので、これが広まることを ひそかに期待しております。自分でも、これからpro keという 言い方を使いそうな気がします。
(2001.08.22)
(2002.01.05加筆修正)