27.茨木市郡3の道標

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茨木市郡3丁目23 南北の亀岡街道から、北西の道祖本街道の郡山へ分かれる辻(四つ辻だが東は細道)の南西部に建つ
(常夜灯の竿部のみ残っている)
角柱 119x15.5x15.5p(上部に幅3.5p深さ4pの十字型ホゾが彫られている)(東面上部から88pで折れ)
N34.831225 E135.556029


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西面
┌────―――――───――――――――――┐
│妙                     │
│見 獻燈                  │
│山                     │
└――─――――――――――───――――――┘

東面
┌────―――――───――――――――――┐
│左 大坂                  │
└――─――――――――――───――――――┘

北面
┌────―――――───――――――――――┐
│(なし)                  │
└――─――――――――――───――――――┘

南面
┌────―――――───――――――――――┐
│右 妙けん た(んば)           │
└――─――――――――――───――――――┘
(( )部は『わがまち茨木』より、「右妙見丹波」か)





(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では17)
(同書に「亀山街道と茨木街道の合流点に建てられたものである。」となっているが、茨木街道は道祖本街道と
 する方が良いのではないか。又、明治の地図で見ると、五日市から茨木川を巡礼橋で渡った道は、郡五丁目の
 南端辺りで亀岡街道と交差する様であり、当地より170m程北の辻であったと思われる。
  先ず、この道標の奇妙な点を挙げると、東、或いは南東より見た場合、右側の面(現東面)に「左」、左側
 の面に「右」と書かれている。この地で、左大坂、右妙見は、何れも亀岡街道を指すもので、左は南、右は北
 を示すように受取れるには、この辻の北西部で少し奥まり、両面が一度に見える場合しか無いであろう。依っ
 てこの道標(石燈)は現在の道の北側、やや西に立っていたものではないかとする。この西への道200mには、
 郡神社があり、参道への入口を示す位置となり、「獻燈」と書かれた石燈籠を置くに相応しいと思える。ただ、
 この時、「獻燈」面が神社側になり、不自然さが残る。現西面は、180度回転して東面していたのではないか。
 又、石燈籠の上部を取り、竿部分に行先を追刻して「獻燈」を目立たなくし、道標としたと考える事も出来る。
 こう考えれば、現西面の筆跡(雰囲気)の違いも説明できる。)
(尚、「獻燈」或いは「常夜燈」とある道標は、
 1.「川西市火打2の燈籠道標」
 2.「豊中市服部西町3豊島小学校道標」
 3.「高槻市芥川町4の常夜灯道標」等がある。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(南)大坂へ  奥(東)茨城川へ  電柱の左に当道標
 右、郡神社へ】  左右は亀岡街道】  元は道の北側か】

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【4.道標西面拡大 【5.南面(写真左側)上部 【6.同左、下部
 この面のみ楷書で  「右妙けん」とあり  「…んた(ん)」
 他二面と筆跡が異】  字体はくずし字】  と読める】

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【7.茨木南部の道標】
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