2.吹田市南高浜町2の蓮光寺地蔵道標

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吹田市南高浜町2-19 蓮光寺境内の梵鐘の横の祠に西向きに建つ、元、北の口の三ツ辻に建っていたものか
地蔵光背部
N34.758026 E135.527792


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西面
┌────――――――――――――――┐
│  … 左片山美ち         │
│(地蔵)              │
│  … 右い者らきミち       │
└――─―――――――――――――――┘
(「美」は「み」余りくずしていないとした)
(「者」は変体仮名「は」濁点があるかも知れない)

その他面
┌────――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『石の声碑の語り』吹田市市長広報室編の3によると、
 地蔵光背部の、道案内以外に書かれている文字は、
 「我毎日晨朝入諸定」
 「入諸地獄令離苦」
 「無仏世界度衆生」
 「今世後世能引導」
 とあり、これは元々から刻まれていた(多く室町時代作とする)もので、道案内部分は追刻であるらしい。
 蓮光寺のお堂再建が文政八年(1822年)であるところから、それ以前に道標としての役目を負っていた。
 とする。
  又、案内に相応しい元位置として、旧亀岡街道から片山への分岐点、吹田市高浜町10−31
N34.760076 E135.528025
 辺りの三ツ辻としており、この辺りを「北の口」と呼んでいたらしい。)

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【1.高濱神社南より 【2.蓮光寺を東に望む 【3.地蔵祠を東に望む】
 東に蓮光寺を望む  正面は西側の門扉
 右奥(東)に蓮光寺】  その奥に地蔵祠】

写真dimg2466
【4.吹田市の道標】

 2025/5/11 訂正
 『石の声碑の語り』の西面の読み下しに誤りがあるようで、訂正し、写真を追加しました。
 【誤】
  … 左 片山ミち
  … 右 勝尾寺ミち

 尚、大きさは、今回、測定出来ていません。

 この道標の北にある「南高浜町3の六地蔵道標」が茨木を案内しており、この道標の元位置が上記の通り
 であれば、大坂(吹田の渡し)から来た時、この道標へ案内する事になる。その道標に茨木の他に京、
 富田等が案内されており、何方も旧亀岡街道を進む事を示すと出来る。依って、この地蔵道標の案内の
 「右い者らき・・・」を「右茨木・・・」と理解しても問題はないかと思う。尚、「者」は変体仮名の「は」
 で、「む」のテンが無い様な字である。濁点があるか無いか、下部の「き」も含め微妙である。
  当道標の疑問点としては、正対してみた場合に左右の案内が逆転している事である。この様な道標は
 無くはないが、やはり奇異に感じる。「右、左」が見えないとして、進むべき道側に書かれていたとし
 たなら、地蔵が北面して建っていた等とも考えられるが、如何なものか。背面を是非見たい。
 逆転の例として「大阪市福島区海老江6の道標2」「神戸市須磨区昭和の道標」がある。
  尚、「左片山みち」が示す道は、現在の中通り商店街の道と思われる。

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【5.地蔵祠を東に望む 【6.上部中央の梵字は 【7.地蔵全体像
 額には「地蔵尊」  「カ」地蔵菩薩か  赤い前垂れが
 格子は開かない】  左右の文字は不明】  邪魔をする】

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【8.地蔵下部左 【9.地蔵下部拡大 【10.地蔵下部右
 「右いはらき」  右側「定」の下に  「左 片山みち」は
 「右茨木」であろう】  「左 片山みち」】  現、片山町であろう】

写真kimg6524
【11.地蔵下部左拡大
 「右い」は間違いない
 「はらき・・・」とした】

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