47.茨木市京都府境の標識

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茨木市 南北の府道43号、京都府との境、清坂峠の東側斜面に、西を正面に建つ
(境界は峠北側にやや下った地点のようで、東西の道らしきもあり、四辻か)
尖頭型角柱 139x南面19x18p(頂高10p)
N34.917253 E135.556753


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西面
┌────――――――――――――――┐
│従是南攝津國 大阪府支配所     │
│従是北丹波國 京都府支配所     │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│        大阪(府)     │
│明治九年九月建爲          │
│        京都(府)     │
└――─―――――――――――――――┘
(( )部は『わがまち茨木』より)

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘





(明治九年は西暦1876年となる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では48)
(同書でも、「標識」として載せている。それに倣い載せたが、道標ではなく、施政権が変わる地点を示すだけで、旅
 人にはあまり、必要では無かったかもしれない。
  又、同書にある様に、ある時期からは主要道路であり、明治44年の地図で見ると、現、府道46号は「県道」として
 書かれ、京都府側は「茨木街道」、大阪府側は「清坂街道」と表記されていて、この地点が幹線道路であった事は間
 違いないでしょう。
  しかし、明治22年の地図でまで遡ると、当道も幹線道路では無く小径と表現され、(詳細は、「44.茨木市清坂
 109南の道標」を参照)この様な石碑を置くに相応しい道では無く、「46.茨木市清阪63地先の道標」がある
 府境にこそ置かれていたであろう。
 設置年も明治九年と一致している。依ってここへは、移設としたい。移設時期としては、国見峠部分が改修された時
 と同じ、明治25年ではないかと思う。)
(能勢町吉野ひいらぎ峠に全く同様の「能勢町吉野ひいらぎ峠京都府境の標石」があり、同時に建てられたものであろ
 う。ただこの標石とは向きがほぼ180度違うため、大阪府と京都府の位置が入れ替わっている。)

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【1.標識を北に望む 【2.標識を南に望む 【3.標識西面拡大
 京都府側は2車線  峠のピークは  今の構造物に挟まれるが
 大阪は1車線の道】  少し南にある】  存在感はこちらに有る】

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【4.標識西への道を望む 【5.標識東への道を望む 【6.標識東面下部拡大
 上記45へ続くか  奥、フェンスで進めない  府は未確認、京の字
 未調査です】  右、43号の旧道か】  「口」を「日」と彫る】

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【7.茨木北部の道標】
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