33.高槻市富田町1−31の道標

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富田町1丁目31−9 阪急富田駅西、富田ー赤大路旧道の踏切北50mの四辻の北西部に南を正面に建つ
(『高槻まちかど遺産』に、南北の道は「山家道」とある)
尖頭型角柱 89x21.5x19p(頂高5p)(頂上部5x5p平面)
N34.834095 E135.590194


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東面
┌―――――――――――――――――――┐
│すぐ そうじ寺            │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│すぐ 妙見              │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│すぐ よしみね            │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│   ミしま江            │
│すぐ からさき            │
│   ひらか多            │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、120)
(同書では、各面の行先と道の関係を述べており、その中で西面を、「東進し「富田街道」につながり巡礼橋のところ
 で西国街道へとつながる道筋を示している。」としている。明治の地図で当辻を見てみると、東に続く道は小径とな
 りつつも、100mで富田街道に繋がっており、参詣の為の人通りがあったものと思われる。ただ、「よしみね」は
 京都西京区の「西山善峯寺」とするが、西国街道に出た以後どう進むかはよく理解できていない。高槻市内で「よし
 みね」を案内するものは、当道標をいれても三件しかなく、経路が掴めていない。
  1.「高槻市上本町10の道標」
  2.「杉生妙楽寺境内の道標」
 西国三十三ヶ所巡礼で総持寺(西国22番)から逆打ちなら、穴太寺(同21番)を案内する方が自然だと思うが、善峯
 寺(同20番)とするのは、こちらの方が名が売れていたためか、或いは穴太寺なら道が東でなくなるのであろうか。)
(尖頭型角柱としたが、頭頂部は尖っておらず、5px5pの四角な面となっており、意識的に作ったものか、盃状穴
 の一歩手前なのか判断できないが、表面がツルッとしており、良く撫でられたであろうと思われる。)
(南面で案内する「すぐ妙見」は北西への道(横の『高槻まちかど遺産』は「山家道」)となり、西国街道合流点には
 「茨木市太田3丁目の道標」があり、その道標では、こちらの「富田」を案内しており、矛盾はない。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南東に望む
 右奥、妙見へ  左(北)西国街道へ  奥、阪急を越え富田へ
 左(西)総持寺へ】  奥、100mで富田道へ  右(西)総持寺へ】

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【4.道標を北西に望む 【5.「まちかど遺産」 【6.道標頭頂部
 この面を南面とした  北西「山家道」で  先端が5p角で
 左「まちかど遺産」】  西国街道へとある】  平らになっている】

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【7.高槻南部の道標】
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