46.高槻市原2017の南の道標

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高槻市白梅町4−1 現府道6号から北東へ参道が分岐する三ツ辻の北部に南を正面に建つ
(府道6号、原立石バス停北の三叉路)
尖頭型角柱 216x38x38p(頂高約15p含まず)台石61x68x68p
N34.887207 E135.600224


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 日本                │
│右  毘沙門天神峯山寺道       │
│ 最初                │
└―――――――――――――――――――┘

東面
                     ┌――――――┐
┌―――――――――――――――――――┐│石匠川島三平│
│     大阪 松田左右吉      ││      │
│  施主    松田者奈       ││      │
│        松田彌太郎      ││      │
└―――――――――――――――――――┘│      │
                     └――――――┘
(「者奈」は変体仮名「はな」か)

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大正四年六月建設         │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  総號第二世大道代         │
└―――――――――――――――――――┘


(大正四年は、1915年となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、26)
(同書に、現府道6号が付けられる以前は、原中村方面と原東條方面に分かれる三叉路であったとし、そこに小さな道
 標があった。としている。旧道の分岐点は現道標の位置からは、40m程度南であっただろうと推測できる。ただ、
 現府道の建設時期が分らないため、当道標が旧位置に建てられた後移動されたか、道敷設後に、現在位置に建てられ
 たかは不明である。)
(「神峯山寺」を案内する道標で、当道標迄の距離を示したものとして、
 1.「芥川町4―21地蔵堂の道標」40丁=4.4q
 2.「三島江2の道標」二里半(90丁=9.8q)があり、
 ここから先、寺までの距離を含まないのが不思議に思える。ここから先は純然たる参道としてここ迄の距離で十分だ
 としたものか、或いは、ここからは、丁石に距離を任せたものであろうか。
  因みに、寺までは、いくつかの丁石が残るも、その表示は、一般の残距離を示す丁石と異なり、進んだ距離を表示
 しているが、其開始点は、当道標地点では無く、此処から720m北の牛地蔵と鳥居のある「原1567の道標」地点
 としている様に思える。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(北東)神峯山寺へ  左奥府道6号服部へ  府道6号の向うに
 左側真っすぐ府道6号】  階段左に当道標】  原中村への旧道が見える】

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【4.道標台石東面 【5.道標より南西を望む 【6.東横の案内板に
 「石匠」  バス停南(青瓦前)に  「バス停」の下
 「川島三平」か】  旧道の三叉路が残る】  「現在地」とある】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】

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【9.神峯山寺参道地図】
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