69.高槻市本山寺十九丁丁石

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高槻市 2018年現参道(際ヶ面林道)川久保、毘沙門天鳥居下より1丁西、参道登り左側に、北を正面に建つ
尖頭形角柱 77x21.5x21.5p(頂高3p)
N34.900656 E135.621079


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北面
┌─―――――――――――――――┐
│十九丁             │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 三嶌郡清水村大字(真上)   │
│   九十三才(女)      │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(享保十九年十一月1日なら、1734年11月25日木曜日となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、41)
(同書に、「これは「二十丁石」につながるものである。」としているのは、年代ごとの参道の推移と、丁石の移設を
 省略し現状の参道と、丁石を用いて、連続性(鳥居下の二十丁道標から120m(約1丁)の距離)を述べたものと思わ
 れる。
  私見では、参道は時代と共に3ルート存在し、丁石の移設も幾度か行われたと思われ、廃道と丁石の残置と移設が
 行われ、その結果が今2018年の状況になっているとすれば、設立当時の全ての丁石は一つのルート上に帰結されると
 考えている。
 本来、次は十八丁丁石となるはずであるが、行方不明で、次は「十七丁」丁石となるが、これは現在の参道に無く、
 大正期の参道に建っており、2丁ではたどり着かない。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が併行し、施主も見え易い側に有り、多数派であるが、参道左側に建つ点は少数派。)

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【1.丁石を西に望む 【2.丁石を東に望む 【3.丁石の正面を望む
 奥、本山寺へ  奥、川久保鳥居へ  右、本山寺へ
 手前、川久保鳥居へ】  手前、本山寺へ】  左、川久保鳥居へ】

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【4.東面下部拡大
 「…大字、…三才」
 埋設部に文字が続く】

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【5.本山寺参道地図】

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【6.高槻中部の道標】
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【7.高槻南部の道標】
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