70.高槻市本山寺十七丁丁石

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
高槻市 大正期参道で川久保、鳥居下より、3丁北西、参道登り左側に、南西を正面に建つ
(大正期参道から現参道へ接続させたと思われる道の合流地点の50m東)
尖頭形角柱 100x21.5x21.5p(頂高4p)
N34.90163 E135.619513


写真eimg8164

写真eimg8168

写真eimg8167

写真eimg8165

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│十七丁             │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市             │
│  芳貴            │
└――――――――――――――――┘
(( )部は『高槻の道しるべ』より)

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、42)
(他の丁石に比べ、区の名前が書かれていない点が特徴である。)
(この地点を明治と、大正、現在の地図で見ると、大正期の参道に当たる様に見え、明治期の参道に合流するすぐ手前
 と思われる。
 明治期に建てられたものであれば、大正期の参道に移設された可能性があり、その時丁石の南角が欠けたのかも知れ
 ない、と考えるのも面白い。因みに、大正期の道は明治44年から大正11年の間に付けられたと考えられる。)
(次は「十六丁」丁石、手前は現在の参詣道にある「十九丁」丁石となる。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が併行し、施主も見え易い側に有り、多数派であるが、参道左側に建つ点は少数派。)

写真eimg8159 写真eimg8160 写真eimg8163
【1.現参道から東を望む 【2.丁石を南東に望む 【3.丁石を北西に望む
 中央奥、丁石へ  奥、大正・明治参道へ  奥下って、現参道へ
 右下り、鳥居へ】  背後、現参道へ】  背後、大正期参道へ】

写真eimg8162 写真eimg8174
【4.丁石を北東に望む 【5.丁石南西面上部】
 南角が欠けている
 移設時のものか】

写真eimg6775
【6.本山寺参道地図】

写真eimg6774
【7.高槻中部の道標】
写真eimg6742
【8.高槻南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ