71.高槻市本山寺十六丁丁石

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高槻市 大正期参道で川久保、鳥居下より、4丁北西、参道登り右側に、南東を正面に建つ
尖頭形角柱 84x21.5x21.5p(頂高3p)
N34.902209 E135.619641


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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│十六丁             │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│大阪市南区高津十番丁      │
│   安田佐兵衛        │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、43)
(この丁石の位置では、明治期の参道と大正期の参道は重なっている。この地点より川久保の鳥居方面へ下った、南東
 80m辺りが合流点かと思われ、大正期の道を下った時はそこで大きく南西に向きを変え、Z字型に現「十九丁」丁石
 へと向っており、その道筋に「十七丁」丁石があり、又明治期の参道(廃道)をそのまま南東に下っても「十七丁」
 丁石には出会わない。
 「十九丁」丁石から当丁石へは、現参道から大正期参道への取付道を使うと、一度西に大廻りする為、明らかに2丁
 より長くなり、大正期の参道は今の取付道より下にあったと思われる。
 次は、「十五丁」丁石に続く。
 参詣道については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照。)
(丁数標示面と参道進行方向が直交する、少数派である。施主が一番見えにくい位置に有り、向きが変えられたかもし
 れない。)

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【1.丁石を南東に望む 【2.丁石を東に望む 【3.丁石を北東に望む
 奥、諏訪神社へ  左、本山寺へ  奥、本山寺へ
 背後、本山寺へ】  右、諏訪神社へ】  背後、諏訪神社へ】

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【4.丁石を北西に望む 【5.大正期参道分岐点より
 「十六丁」が登り  十六丁石(北)方向を望む
 参詣者に正対する】  左奥下、十七丁石へ】

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【6.本山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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