59.高槻市川久保の鳥居前4/4道標

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高槻市川久保 府道79号から西に分岐する参道口の鳥居前の北部に南西を正面に建つ
(鳥居北側3基の内の1基、最も西、鳥居寄りに建つ)
尖頭型角柱 131x東面30x22.5p(頂高7p)
N34.9005841 E135.6223204


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南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│左 北山本山寺道           │
│    是ヨリ二十丁         │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大阪南区高津三番丁        │
│   石工 石福一昌         │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│     大阪市南區難波新地五番丁  │
│大正三年寅十二月吉祥日 發起人    │
│             金澤市兵衛 │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大阪市              │
│    寶生社            │
└―――――――――――――――――――┘


(大正三年は西暦1914年となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、39)
(同書には、同一の発起人となる「九丁」丁石と、無くなった「別所新町の道標」がある、としている。)
(南西面、「本山寺」の山号は「北山」とあるので、山号+寺名を書いたものであろう。一文字の山号は、なんとなく
 読み難い。)
(明治の地図(大正11年もほぼ同じ)で、当地から、諏訪神社を経由し、山門迄の距離が2.4q(22丁)と見積もられ
 丁石としては、この地に建つ限り不完全であるが、道標としてなら問題はないと思われる。別所新町の道標に60?丁
 とあったらしいので、成合から現府道より東の道で5.5q(50丁)とし、69丁とすれば、ここから残り19丁で1丁程
 度の誤差に収まる。依って、この道標は大きく動かされてはいないとし、丁石ではなく、道標とする。
  よって、丁石の位置を云々する時、この道標を基準にしてはならない。)
本山寺丁石一覧も参照下さい。)
(周辺には、
 「鳥居前1/4道標」
 「鳥居前2/4道標」
 「鳥居前3/4道標」
 「鳥居の西の道標」
 「上落合橋北詰道標」
 がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.三基の道標を北に望む
 鳥居左、本山寺へ  鳥居と3基の道標  左端が当道標
 右、府道を大沢へ】  左端が当道標】  左、本山寺参道】

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【4.道標の南西面拡大 【5.道標南東面下部 【6.鳥居北側3基を西に望む
 参道右側にあり  「石工 石福」は  右端が当道標
 参道面に向く】  参道丁石にも見える】  その後ろは鳥居柱】

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【7.高槻まちかど遺産
 の案内板、参道の
 変遷には言及せず】

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【8.高槻中部の道標】
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【9.高槻南部の道標】

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【10.本山寺参道地図】
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