56.高槻市川久保の鳥居前1/4道標

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高槻市川久保 府道79号から西に分岐する参道口の鳥居前の南部に北東を正面に建つ
(鳥居前4基の内の1基、西に分岐する道は「林道際面ヶ谷線」)
板碑型 52x北東面26.5x12p(左上部20x11.5p欠損)
N34.900522 E135.622298


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北東面(厳密には東北東か)
┌―――――――――――――――――――┐
│神峯山寺道              │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  三郎               │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、36)
(同書には、「南東面に人名らしきものが刻まれており…」とし人名を「二郎」としている。この道標の左上部が欠け
 ておりその部分書かれていた施主名等と思われるが、丁度「二」の部分から欠け始めており、残存部分だけでは「二」
 にみえるが、字の大きさや、上の「−」と下の「−」の長さから見ると、「三」であったと想像できる。依って「三
 郎」とした。)
(形状を、板碑型としたが、上部も欠損しているので、現存の形より判断したもので、元は不明である。)
(此処より、「神峯山寺」への道を明治の地図で確認すると、西30mにある、諏訪神社・本山寺への道を過ぎると、
 概ね現林道に従い一本道であり、今の様に途中から北の本山寺へ行く道は見えない。
  又、鳥居は「毘沙門天」とあるので「本山寺」のものであろう。)
(この地点からの、「神峯山寺道」に関しては、別項「神峯山寺参詣道筋建場」を参照下さい。)
(周辺には、
 「鳥居前2/4道標」
 「鳥居前3/4道標」
 「鳥居前4/4道標」
 「鳥居の西の道標」
 「上落合橋北詰道標」
 がある。)

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【1.鳥居を西に望む 【2.鳥居下より南東を望む 【3.道標を西に望む
 左に1基、右3基  左側に3基の道標  鳥居右の道標に
 左山裾裏に1基】  右画面外に当道標】  比べ目立たない】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標を南西に望む 【6.道標南東面拡大
 左は本山寺寺標か  左上部分欠損だけで  「二郎」ではなく
 右小さい当道標】  なく、上部も欠損か】  「三郎」とした】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】

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【9.神峯山寺参道地図】
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