27.川西市黒川大原妙見山新滝道十四丁丁石

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川西市黒川大原 新滝道参道、地蔵菩薩祠の東隣、南側の川との間に北を正面に建つ
(十六丁丁石から200m)
蒲鉾型角柱 92x24x16.5p(頂高3p)
N34.920349 E135.457148


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北面
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│       大 世 大阪西成郡玉出丁 │
│御山十四丁  正 話 辻 林之助    │
│       講 人          │
└――――――――――――――――――――┘

西面
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│    大正八年            │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、記載なし。)
(住所としては、川西市に属すると思うが、ここに載せる。)
「十六丁」から200mとほぼ二丁、「十丁」へ400mとほぼ四丁。)
(「十六丁」から約200mとほぼ2丁の距離で元の位置であろう。この丁石が他の丁石と雰囲気が異なるのは、稜線部
 分が面取りされて、丸みを帯びているからかと思われる。)
(世話人の住所に有る「西成郡玉出」については、Wikiに、「勝間(こつま)村は大正4(1915)年11月1日に町制
 を施行し、玉出町となった。玉出町の「玉出」の名称は、勝間村の小字のひとつから採用された。その後大正14
 (1925)年4月1日、大阪市への編入に伴って玉出町は廃止」とあり、紀年の大正八年には存在しており、矛盾しな
 い。今の大阪市西成区の玉出西・中・東、辺りであろうか。)
「豊能町妙見山新滝道丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.丁石を東に望む 【2.丁石を西に望む 【3.丁石を南に望む
 奥(東)妙見さんへ  奥、ケーブル黒川駅へ  左側が当丁石
 右川向うにも小祠あり】  背面(東)妙見さんへ】  右、幡に「地蔵菩薩」】

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【4.丁石北面上部拡大 【5.丁石南西面下部拡大 【6.丁石西面拡大
 「御山十四丁」と  住所部分の郡の下は  「大正八年」と読める
 講、世話人は横書】  「玉出丁」とした】  背面下部は一部欠ける】

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【7.豊能町の道標】 【8.新滝道丁石地図】
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