29.川西市黒川奥滝谷妙見山新滝道七丁丁石

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川西市黒川奥滝谷 新滝道参道、左側に沢が移った後、右手(南東側)山の傾斜地に倒れる
(十丁丁石から320m、団栗小屋真東辺り)
蒲鉾型角柱 94x24.5x14p(頂高3p)(基部含まず)
N34.923707 E135.463156


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上面(北西面か)
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│      大 世 大阪津守木津川駅前 │
│御山七丁  正 話 森川伊之助     │
│      講 人           │
└――――――――――――――――――――┘

右面
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│    大正八年            │
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左面
┌――――――――――――――――――――┐
│(不明)                │
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下面(写真無)
┌――――――――――――――――――――┐
│(不明)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、記載なし。)
(住所としては、川西市に属すると思うが、ここに載せる。)
「十丁」から320mと三丁、「六丁」へ140mと1.3丁。)
(「十丁」から約320mとほぼ3丁の距離で元の位置近くであろう。)
(世話人の住所に有る「津守」は、大正14(1925)年に大阪市編入とあるので、それ以前の「津守村」であろう。その
 下に続く「木津川駅前」を、南海電車汐見橋線の「木津川」駅前とするなら、同駅開業が明治33(1900)年らしく、
 矛盾はしない。今の大阪市西成区北津守1丁目か、北の浪速区木津川2丁目、辺りであろうか。)
「豊能町妙見山新滝道丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.丁石を北東に望む 【2.丁石を南西に望む 【3.丁石を南東に望む
 奥(北東)妙見さんへ  奥、ケーブル黒川駅へ  基礎部が前に崩れて
 斜面に倒れた丁石】  背面(北東)妙見さんへ】  上向きに倒れたか】

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【4.丁石上面上部拡大 【5.丁石上面下部拡大 【6.丁石右面拡大
 「御山七丁」とあり  住所部分の木津川の  「大正八年」と読める
 講、世話人は横書】  下は「駅前」とした】  他の多くと同じ】

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【7.豊能町の道標】 【8.新滝道丁石地図】
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