31.島本町柳谷道七丁角柱丁石(二基の内東側)

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島本町尺代、柳谷道 現府道734号と旧参道の交差点の北50mに南東を正面に建つ(柳谷観音丁石)
(西に七丁地蔵丁石が建っていたと思う)
尖頭型角柱 90x18x17p(頂高7p)(基部12p高さに含む)
N34.907402 E135.655082


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南東面
┌─――――――――――――――――┐
│七丁 同 竹沢伊□        │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊には未記載)
(南東面の丁数の下は施主であろうか。他の類似丁石「十二丁」等にも見られるが全てにあるわけではない。
 又、倒れていた地蔵を単純に立てた所、当丁石が右側になり、ペア―で存在する他の丁石とは配置が逆になっている
 様に感じられる。即ち、角柱型丁石の方が寺より遠い側に来ている。八丁も同様だがこれは明らかに移設されている
 ので除外した。)
(人名の右上に一字見え、「同」としたが、何と同じなのか不明。丁石の始まりには、住所、村名、講名等がありそれ
 と同じとしたものであろうが、最も遠くの「十二丁」も「同」であり、それが何かは不明である。)
(柳谷道丁石に関しては、「柳谷参道丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を北に望む 【3.角柱型丁石を東に望む
 奥、柳谷観音へ  左(西)が参詣道  角柱型が当丁石
 背後、府道四辻へ】  右は竹林で終わりか】  地蔵は下に倒れている】

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【4.丁石正面拡大 【5.丁石正面下部拡大 【6.丁石を北に望む
 「七丁」とあり  「同 竹沢伊□」と  地蔵を立てたら
 その下は施主か】  したが、怪しい】  他のペアと逆配置か】

 十二丁と比較
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【7.七丁丁石(当丁石) 【8.十二丁丁石
 78x18x17p  75x18x18p
 (頂高7p)】  (頂高7p)】

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【9.島本町の道標】 【10.柳谷道の丁石】
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