71.能勢町野間中乾橋東詰の道標

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能勢町野間中162 府道4号線、大原川の乾橋東詰めを南へ20mの三ツ辻東部、民家石垣下に
北西面を正面に建つ
(乾橋は国道477号東郷バイパス、野間稲地交差点からほぼ東880m)
尖頭型角柱 58x22x22(頂高7p)
N34.944091 E135.460507


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北西面
┌―――――――――――――――┐
│    願主         │
│左 妙見道          │
│     米屋丈助      │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――┐
│右 天王ご江         │
└―――――――――――――――┘
(「ご」は「古」に濁点変体仮名)

南東面
┌―――――――――――――――┐
│  □            │
└―――――――――――――――┘
(□は窪みを示す)

南西面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(大正十年は、西暦1921年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では71)
(明治の地図で当地点を見ると、「野間中408石房の道標」から東進し橋の手前で南東に折れ、橋を渡って
 この道標に当たり、東に曲がるクランク状の府道又は達路が見え、南の大堂峠への道は描かれていないが、
 道標がある事は道の存在を表しているのであろう。(大正15年地図には描かれている。)
 東への道跡が民家石垣の北に現府道迄20m程残っている。道標が有って然るべき辻であろう。)
(北西面にある「願主米屋丈助」は「能勢町野間中の道標2/3」や、「豊能町川尻の井戸道道標 」にあり、
 同書では、「米屋丈助は妙見山上で、旅館業を営む江戸末期から明治の人である。」としている。
  北東面「天王ご江」は妙見山の西800mの大堂峠を越える道と思われ、当地の南300、野間川を越えた
 辺りに「天王神社」なる名前も見え、間違いはないと思う。)
(南東面の四角い窪みは道標頭頂より32pを上辺とし、16x10x-2.5pの大きさである。意味不明であるが、
 「野間中の道標2/3」の道標にもあり大きさは一致していないものの、共通点があるのではないか。
 (例えば橋の欄干として手摺を通していた等))

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【1.道標を南に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(南)大堂峠へ  左奥白壁に現府道  奥突当り左右に府道
 左、現府道妙見山へ】  左(北)乾橋東詰へ】  欄干が大原川の乾橋】

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【4.道標北西面拡大 【5.道標北西面左下部 【6.道標北東面下部
 「左 妙見道」  右側に「…見道」  「天王ご江…」
 「見」が右に寄る】  左は「米屋丈助」】  「江」は小さい】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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