23.猪名川町広根久保東の道標

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猪名川町広根久保東12 府道324廣根奥の谷交差点北東270m五つ辻北西部に東を正面に建つ
(広根中バス停北20m。)
尖頭型角柱 62x23.5x18p(頂高6cm)(頭頂部、北西部等欠損)
N34.891546 E135.368990


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東面(やや南を向く)
┌――――――――――――――――――┐
│右 ぎんざん 三(田)       │
│左 いぶち き里(はた)      │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『猪名川町の道標』より)
(「里」は「り」の変体仮名)

北面
┌――――――――――――――――――┐
│すぐ 妙見 以け(だ)       │
└――――――――――――――――――┘
(「以」は「い」の変体仮名)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│明治三十六年三月          │
│    廣芝茂兵(衛)       │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│右 妙けん 池(田)        │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では21)
(同書では「下部が土にうづもれているが、字句は下記のとおりであると思われる。」としているので
 それに倣った。
  明治の地図では東から西への道が南に折れる所で、北西の銀山へ向かう道が分岐する三ツ辻であり、
 銀山への道のすぐ西に北から小径が交わっている。現在の北東から南西への府道324がその辻を飲み
 込んだ状態に見受けられ近接移設は免れないと思うが、ほぼ元の位置であろう。
 北面の「すぐ池田」と南面の「右池田」が矛盾する様に思えるが、辻の形状により銀山から来た時に
 北面の「すぐ」が道なりに「東」と容易に受取れる様、反時計方向に少し廻されていたかもしれない。
  東へ進むと広根北野尻32で妙見山(北東)と池田(南東)の分岐となり、北東に行くと墓地前で
 「広根野尻墓の道標」に当り、南東に進むと野尻の「広根の道路元標」に行き着く。)
(東面の地名が少し解り難いが、「右 銀山、三田」「左 猪渕、切畑」と思われ、銀山と猪渕は猪名
 川町内、三田は現三田市、切畑は現宝塚市切畑に比定できる。)
(施主と思われる廣芝茂兵衛なる銘を持つ道標が近辺に沢山あり「廣芝銘道標一覧」にまとめた。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北東に望む
 奥(西)銀山へ  右奥(東)野尻へ  正面白壁左、銀山へ
 左、猪渕、切畑へ】  右20m広根中バス停】  白壁左端前に当道標】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標北拡大
 現在は道に正対  「右ぎんざん三」  「すぐ妙見いけ」
 元は少し回転か】  「左いぶちき里」】  「い」は「以」】

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【7.道標西面左下部 【8.道標西面中央部 【9.道標南面拡大
 左「廣芝茂兵…」  「三十六年三」  「右妙けん池」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【10.猪名川町北部の道標】
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【11.猪名川町南部の道標】
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