36.猪名川町広根西山の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
猪名川町広根西山 銀山から西ソエ谷峠への道の長坂峠分岐辻から北西50m西側墓地に東を正面に建つ
(長坂峠は現在(2019年)ゴルフ場になっている。)
墓石竿部 55x25x25p(上台19x41x40.5p)(中台22x61x61p)
N34.898908 E135.343801


写真fimg5981

写真fimg5982

写真fimg5983

写真fimg5984

東面
                 ┌―――┐
┌―――――――――――――――┐│ 門 │
│御真寶雲壽仙信士       ││ 弟 │
└―――――――――――――――┘│ 中 │
                 └―――┘
(「真」の上部は「直」と刻む)

北面
                 ┌―――┐
┌―――――――――――――――┐│   │
│ @             ││   │
│  石井埼佐輔        ││   │
└―――――――――――――――┘│   │
                 └―――┘
(@は「俗名」か、左側「石」も「岩」か)
(「埼」の「大」は「立」、「輔」はくずし字)

西面
                 ┌―――┐
┌―――――――――――――――┐│   │
│文政二卯(歳)九月十九日   ││   │
└―――――――――――――――┘│   │
                 └―――┘
(( )部は『猪名川町の道標』より)

南面
                 ┌―――┐
┌―――――――――――――――┐│   │
│    三田         ││   │
│ すく            ││   │
│    笹山         ││   │
└―――――――――――――――┘│   │
                 └―――┘


(文政二(己卯)年九月十九日は西暦1819年11月6日土曜日である。)
(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では25)
(同書には「菩提を弔うためにたてられたものらしい」としているが、墓地内でもある様で、基本墓石で
 あろう。力士や浄瑠璃太夫の墓で門弟が建てたものと思う。北面にある名前が本人ではないか。名前の
 上部が剥落しているが、一部「口」に見える文字を「名」とすれば位置的に「俗名」の可能性が高い。
 又、「石」の字も「岩」である様に見える。)
(南面の案内には「すく」のみしか書かれておらず、辻に立っていたものではないことが伺える。今でこ
 そ南東50mに三ツ辻があるが、明治の地図では分岐する道は見えず、長坂峠への分岐はこの西200m辺
 りの川の合流部にあり、ソエ谷峠、長坂峠のどちらを越えるにしても宝塚市大原野へ出るには、ここを
 直進するしかないのです。旅人に主要道を進んでいると安心を与える目的であったと思う。
  長坂峠を越えると「宝塚市芝辻新田オシケ芋の道標」に続くと思う。)
(墓石の竿部は角柱と言うよりも樽型の様な感じがする程面取りされており、柔らかな印象を受ける。が
 石質も又弱そうで、剥落寸前の状態である。手を加えなければ間もなく読めなくなりそうで気になる。)
「力士に関する道標一覧」はこちら。)

写真fimg5978 写真fimg5980 写真fimg6000
【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を南東に望む
 左立木中に当道標  右端が当道標  後右奥(南東)銀山へ
 奥(北西)ソエ谷峠へ】  奥(南東)銀山へ】  左手前、長坂峠へ】

写真fimg6005 写真fimg5987 写真fimg5992
【4.道標を北西に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標北面拡大
 墓域の北端道側に立  道からも目に付く  「石井埼佐輔」としたが
 読易いが実用性は?】  「すぐ三田、笹山】  上部が剥落している】

写真fimg5997 写真fimg5998 写真fimg6009
【7.道標西面上部 【8.道標西面下部 【9.道標を南西に望む
 「文政二卯(歳)…」  「…九月十九」  六・七基の墓石が有り
 年よりは歳か天か】  と読んだ】  移設は無いであろう】

写真fimg5262
【10.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【11.猪名川町南部の道標】

 【訂正追加 2025年1月】
 旧記述「察するところ力士の墓で門弟が建てたものと思う。北面にある名前が本人ではないか。名前の
 上部が剥落しているが、一部「山」に見える文字が残り四股名の一部かと考えられる。」
 としていたが、一部「山」としていた部分は「口」と思われ、今回「俗名」の一部が残るとする方が、
 一般的であろうと結論した。そうなると「力士」説は弱くなり、土地柄、浄瑠璃等の門弟と見なすこと
 も出来そうです。そうして戒名を見ると、勇ましさより優雅さを感じるが、「三田市波豆川の道標」
 よく似た戒名「寶雲壽明信士位」があり、これは「鈴鹿山門弟中」とあり力士説も捨てきれない。
  取敢えず、従来の記述を訂正した。
  尚、「力士に関する道標一覧」はそのままとする。

写真kimg4086
【12.道標北面
 ピンボケの御陰で
 右上「俗名」と見える
 左側も「岩井」が良いのでは】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ