14.猪名川町元広根北野尻の道標

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猪名川町木津八十 ふるさと館本館展示室の南に南を正面に建つ
(地蔵を含め五基の内最も西(左)に立つ)
尖頭型角柱 65x24.5x24.5p(頂高5p)
N34.941409 E135.341709


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右ハの世さゝ山           │
│左ハぎんざん三田          │
└――――――――――――――――――┘
(「右ハ能勢、篠山」であろう)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│文化九歳(集)壬申 行者 成覚   │
│為先祖菩提也 世話人        │
│        岡田平右衛(門)  │
│十一月如意(珠日)         │
│        松尾忠右衛(門)  │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は後ろの『解説板』より)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│天下泰平国土安穏          │
│奉納大乘妙典廻國供養塔       │
│日月清明五穀成就          │
└――――――――――――――――――┘
(「妙」は「玄」に「少」と彫る異体字)


(文化九(壬申)年十一月1日とすると、西暦1812年12月4日金曜日となる。)
(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では16)
(同書に「旧所在地、猪名川町広根北野尻5番地」とあり「中谷村道路元標」の北にあったようだ。
N34.890423 E135.375541
 三ツ辻の北西部辺りと思われる。明治の地図では南北の道から北西に分岐する道が描かれており、
 現在南への道は新名神で分断されているが主要な辻であったと思う。
 当然、道路元標より古くからあり、場所を譲った可能性はあるが、その辻にあり現南面を東面して
 置かれていたであろう。)
(一緒に立つ他の三基は、
 2.「猪名川町元万善の道標」
 3.「猪名川町元鎌倉の道標」
 4.「猪名川町元三蔵山南東の道標」
 である。)

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【1.ふるさと館を東に望む 【2.道標等を東に望む 【3.道標等を北に望む
 中央立木の北側に  庇の下、砂地に  後は展示室の窓
 東西に並び展示】  鉄筋に補強され立つ】  左二番目除き四道標】

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【4.道標南面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面上部拡大
 「右ハの世さゝ山」  「文化九歳…」  「天下泰平…」
 「左ハぎんざん三田」】  非常に読み難い】  と読める】

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【7.猪名川町北部の道標】
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【8.猪名川町南部の道標】
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