20.三田市志手原仏像の道標

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三田市志手原1147−4 県道37号虫尾バス停筋違い四辻の北10m東部に南を正面に建つ
(三基の内の北側二基の東側に建つ)(「バス停の道標」へ、「供養塔の道標」へ)
地蔵型 85x42x23p(像部下24pから43x15x7p)(上部欠損)
N34.911712 E135.235364


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右 のせかめやま          │
│ (仏像)             │
│左 もしささやま          │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では20)
(同書では「左もうし…」と書かれているが、「う」は見えず「左もし…」で「左母子」であろう。)
(当地点を明治の地図で見ると辻が描かれておらず、平成7年の地図にも載っていない。すべての道が地図
 に載るわけではないが、庚申堂等もなく道標の立地地点として適性は無く移設されたものと考えられる。
  元位置の候補として、北230m上野台中学校西の三叉路が考えられ、
N34.913662 E135.235521
 辺りの三ツ辻の北東部となるがどうか。)
(「右能勢亀山(現亀岡)」は志手原へ、「左母子、篠山」は尼寺方面へ進む道と思われる。
 「三輪上野辻仏像の道標」の案内とよく似る。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(北)志手原へ  奥(南)三田市街へ  右、当道標
 赤い前垂れが当道標】  左端(東)が当道標】  左は供養塔の道標】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面左側 【6.道標南面右側
 道に面しておらず  「左もしささやま」は  「右のせかめやま」
 辻でもない地点】  「左母子、篠山」か】  「右能勢、亀山」】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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