16.三田市三輪上野辻仏像の道標

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三田市三輪1019 三輪神社から北東へ旧道を登った上野ノ辻(現四辻)北東部に南西を正面に建つ
(三基ある内の中央、西側は「題目塔の道標」、東側は「力士碑の道標」
地蔵型 69x43x21p(像部下12pから36x14x5p)
N34.898888 E135.233073


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南西面
┌――――――――――――――――――┐
│   □□             │
│  右 のせ ぎんざんみち     │
│(仏像)              │
│  左 もしささやまみち      │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では16)
(同書に「仏像」としているのでそれに従った。地蔵像かもしれない。ご近所の方がよくお世話されている
 ようでお聞きすると「この前で7月24日に地蔵盆を行っている」との事である。)
(右側の「右のせ」は明瞭に読めるが更にその右横に「□□」二文字(「左ハ」「右さ」「妙見」等か)が
 あり「右、左}なら追刻も有るが、多分「妙見」のくずし字の左側残存と考える。妙見山への道であるこ
 とはすぐ西に大きな常夜灯が建つことでも分かる。又左側は右に比べ文字がハッキリしない。
  案内に関しては「右能勢、銀山道」として、香下へ出て現在の県道68(川西三田線)に合流し宝塚市
 波豆から大原野、芝辻新田、長坂峠を越え猪名川町銀山であろう。波豆からは68号と別れるが、明治の
 地図でみるとこの道が主であったと思える。次に「左母子、篠山」として北へ志手原、県道49号に入り
 小野、乙原、母子を経て篠山は間違いないと思われる。)
(道路の拡張等に伴う近接移動は避けられない三基の道標であるが、この仏像型(地蔵)の道標は追刻の可
 能性と信仰の対象度からみて他の二基より移動させられた距離が大きいような気がする。明治の地図から
 は単純な三差路ではなく複雑な辻が読み取れ、現在でもその痕跡は残っている。その他の石造物も含めて
 近辺から一ヶ所に集められ現状を呈しているのであろう。
  特にこの道標に限れば、右上部が欠損しており辻の道上に置かれ車馬の往来にさらされていたと思う。)
(南「三輪神社の道標」から来て、右は「成谷609の道標」に、左は「志手原仏像の道標」に続く。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 右(東北東)香下へ  左(南西)三輪神社へ  左から二基目当道標
 左、志手原へ】  左から二番目当道標】  地蔵道標とすべきか】

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【4.道標南西面を望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標を上から見下ろす
 像の浮彫が大きく  像と光背の比率で  光背部分を多く削り
 下の蓮華座も立派】  当初から道標用か】  像の立体感が強い】

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【7.道標左側上部 【8.道標右側上部
 「左 もしさ」  「右 のせ ぎ…」の
 と読んだが】  右側「□□」は何か】

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【9.三田北部の道標】
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【10.三田西部の道標】 【11.三田東部の道標】
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