15.三田市三輪上野辻力士碑の道標

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三田市三輪1019 三輪神社から北東へ旧道を登った上野ノ辻(現四辻)北東部に南西を正面に建つ
(三基ある内の東側、西側は「題目塔の道標」、中央は「仏像の道標」
自然石 165x88x51p(台石43x147x91p)(龕部下24pから109x26x-2p)
N34.898892 E135.233096


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南西面
                    ┌―――┐
                    │ 門 │
┌――――――――――――――――――┐│ 弟 │
│右 妙見              ││ 中 │
│    三津ヶ関保兵衛       ││石工 │
│左 花山院             ││ 五社│
└――――――――――――――――――┘│ □庄│
                    │ … │
                    └―――┘
(「関」は「門」に「仁」「大」と刻む)
(「工」は「ノ」に「エ」と刻む)

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では15)
(南西面の「三津ヶ関保兵衛」の「関」の字が、旧字「關」ではなく、門構えの中に「仁」「大」のように
 刻まれており取り敢えず「関」とした。相撲取りであろうがすぐ北の墓石風の石に「三津関安兵衛」とあ
 り同一人物か、襲名したものかであろう。そちらには「安政七(1860)年庚申之春」と銘があり同一人物
 の墓であれば、当道標もそれ以降の造立と考えてよいかと思う。)
(案内に関しては「左花山院」は疑いようもなく、「右妙見」は香下へ出ると現在の県道68(川西三田線)
 に合流し宝塚市波豆から猪名川町に出る事が出来る。明治の地図でみるとこの道が主であったと思える。)
(右は「成谷609の道標」に、左は「三輪1294の道標」に続く。)
「力士に関する道標一覧」はこちら。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 右(東北東)香下へ  左(南西)三輪神社へ  中央に当道標
 左、志手原へ】  右端が当道標】  左赤前垂れも道標】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南西面上部 【6.道標台石拡大
 「三津ヶ関…」  「右妙見」  「門弟中」
 関、旧字でもない】  「左花山院」】  とよく読める】

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【7.道標台石左部 【8.道標北隣の墓石か
 「石工」の工は  良く似た名前のある
 仝か匠にも見える】  紀年銘を持つ石】

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【9.三田北部の道標】
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【10.三田西部の道標】 【11.三田東部の道標】
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