23.三田市成谷609の道標

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三田市成谷609 志手原浄化センター南東角斜面に東を正面に建つ
自然石 75x42x50p(東面42p、北面60p、西面25p、南面52p)
N34.907104 E135.243366


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│    右 村道 …        │
│(梵字)              │
│    左 三田 …        │
└――――――――――――――――――┘
((梵字)は『さんだの道標』より)

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│      妙けん         │
│(梵字)右             │
│      あたこ         │
└――――――――――――――――――┘
(梵字「ア」は大日如来の種子か)


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では23)
(同書に「志手原浄化センター建設により移動」とあるが元位置が書かれていない。多分、西50mの三ツ辻
 であろうと想像できるが、設置位置と向きがどうかが分からない。
 現東面の「左三田」が南西に進み上野の三ツ辻を経て三輪神社、三田市街は間違いないと思うので、現在
 の向きのまま、三ツ辻北西部に置かれていたと考えられる。
  これにより、南面の「右妙見、愛宕」は東の香下への道を指す事になり、明治の地図でも達路として描
 かれた主要な道であった。三田側に進むと「三輪上野辻力士碑の道標」の「右妙見」と符合する。
 尚、これ以降東では、「香下の道標1/2」に妙見が有ったらしいが現在(2019)見当たらず、更に東の
 「宝塚市波豆大畑東掛23の道標」に繋がる。)
(東面の「右村道」の表現が明治以後の町村制移行の「村道」に当るのか、近世道標によくある「在所道」
 にあたるものか良く分からない。又彫も浅く前書の読みに従ったが「道」が読み難く「原」等と読めば
 その前の字も「椎」と読み替え(香下の字)「椎原」に比定すれば別の見方も出てくるか。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南西に望む
 右擁壁の切れた上  左奥(西)上野の三ツ辻へ  後ろに東西の道があり
 に当道標、見えない】  右後ろに浄化センター】  左(東)は香下へ】

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【4.道標東面拡大 【5.道標東面下部拡大 【6.道標東面下部右側
 「右 村道 …  間違いなく刻字  「村道」では無い様な
 「左 三田 …」】  されているが読めない】  気もするがどうか】

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【8.道標を南面拡大 【9.道標を南面左下 【10.道標を南面右下
 右側「妙けん」  「あたこ」  「妙けん」
 左側「あたこ」】  と読める】  と平仮名交じり】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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