24.三田市香下の道標1/3

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三田市香下1631 香下八王子神社の長屋門が載る石垣の西側10m、四基の石造物のうち西端。
N34.916432 E135.263397
尖頭型角柱 63x20x22p(頂高6p)(基石6x29x29p)


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南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(梵字)南無阿弥陀仏        │
└――――――――――――――――――┘
(梵字は「ア」大日如来の種子か)

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│右 く王さんの院きよみづ      │
│左 三田 古□の□□□       │
└――――――――――――――――――┘
(「王」は変体仮名「わ」、花山の院か)

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│文化十三丙子十月日 □□ 喜左ヱ門 │
│ 世話人 当村   □屋 直七   │
│          □  六助   │
└――――――――――――――――――┘
(『さんだの道標』では丙子を年、六助を大助とする。)

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│  京あたご山ミ□う介ん      │
│右                 │
│  ほん□□ □          │
│左 はつ可山□□□十七丁      │
└――――――――――――――――――┘
(「介」は変体仮名「け」、妙見か)
(『さんだの道標』では正面(背面が正)とし二行に読下す。)


(文化十三年十月は西暦1816年11月となります。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では24)
(同書にある元位置はN34.912618 E135.260836辺りと思われる)
(北西面の「左、はつ可山…」は、羽束山山上に観音堂があるようで此処迄の距離を表したものと考えられる。丁石の
 調査により現参道の距離が短かくなっていると思われ、距離からだけで元位置を割り出すのは難しい。
 『さんだの道標』に載る位置が元の場所(現県道68号の四辻、香下寺800mの看板がある)であるとすると、現南東
 面にある「右、花山院…」が不一致となり、ここではまずい。平成10年に道路が整備されて道筋が変わり、その時に
 状況が変わったのではないかとしても、それ以前の昭和や明治の地図に遡っても、四辻が西に70m程度移動するだけ
 で、案内の不備は変わらない。
  そこで、明治の地図に戻り、現、県道の香下バス停のある辺りの三ツ辻に、この石の南東面を東面として置くと、
 「右、花山の院…」が志手原を経由し花山院を満足し、「左、三田…」は南西に三田GCのある上野から三輪神社を
 通り、三田市街地で、問題ない。この時西面となった「右、京愛宕山…」は現、県道68号を東に進む事になる。
  この時、西面となった「左、羽束山…十七丁」は、上に従えば花山院に向うのではと危惧するが、明治の地図を拡
 大してみると、20m程北で小径が東に、花山院への道は西に曲がって聯路を進むように見える。よってこの三ツ辻で
 あれば何方も北に進み、問題は無くなる。
  南面となる「南無阿弥陀仏」が一番見えやすい位置として、三ツ辻の北西部に建っていたと想像する。
 元位置は、三田市香下900の民家の西60m
N34.912331 E135.258100
 辺り、現在は県道が拡幅され辻は吸収されてしまった、としたい。)
(この道標を含む4基の東端に「三田市香下の道標2/3」があり、これに「本堂江十五丁」とあり、これの元位置や
 近くの「三田市香下980の道標」には「羽束山是ヨリ十八町」もあり、何れも距離については悩ましい。)
(四基の石造物中、西から2番目に「三田市香下の道標3/3」が、最も東に「三田市香下の道標2/3」が立つ。)

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【1.八王子神社長屋門を 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む、右面の
 東に望む、石造物四基  一番手前が当道標  右「右 く王さんの院…」
 の左端(手前)が当道標】  風化が進んでいる】  左「左 三田 古□の…」】

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【4.道標北西面上部 【5.道標南西面上部 【6.道標南東面上部
 右は「京あたご山…」  「(梵字)南無阿弥」  右「右 く王さんの院…」
 二行目「ほん□□…」  梵字は「ア」  左「左 三田 古□の…」
 左に「左 はつ可山…」】  などに見えるが】  としたが、自信なし】

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【7.道標北西面下部 【8.道標南西面 【9.道標南東面下部
 「たご山ミ□う介ん」  下部拡大撮り忘れ  右「の院きよみづ」
 「□□ □」読めない  「南無阿弥陀仏」】  左「□の□□□」】
 「可山□□□十七丁」】

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【10.道標北東面上部 【11.道標北東面左下部 【12.道標北東面右下部
 「文化十三丙子十月日」  左「芝や鳶」等か  屋号読めず「喜左ヱ門」
 「世話人 当村」】  下「六助」とした】  中央、同「直七」】

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【13.三田北部の道標】
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【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】

 2024/10/25 2019年時、不明としたが、判明につき改訂
 上記、明治の地図等は別タブの『今昔マップ on the web』にリンクします。
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