110.三田市香下の道標3/3

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市香下1631 香下八王子神社の長屋門が載る石垣の西側10m、四基の石造物のうち西から2番目。
N34.916418 E135.263403
板碑型 126x65x16p(下部、巾48x奥行24p)


写真kimg3611

写真kimg3576

写真kimg3578

写真kimg3581

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│右 観音道 安永九子年       │
│ (梵字)             │
│(梵字)奉順禮西國三十三所     │
│ (梵字)             │
│      正月十八日       │
└――――――――――――――――――┘
(尖頭梵字は「キリーク」千手観音種子か)
(右は「サク」勢至菩薩か)
(左は「サ」観世音菩薩か)

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(安永九(庚子)年正月十八日は、西暦1780年2月22日火曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊には未記載)
(「右 観音道」と方向が指示されており、道標とします。羽束山山上に観音堂があるようで此処を案内したものと出
 来る。現状では登山道の入口にありここに置かれて相応しいが、大きさや石の形状から見て、西に有る香下寺の門前
 に置かれていたのではないかとし、道端でなかった為『さんだの道標』で見落としたと考える次第です。
 尤も、「右、観音道」は非常に読み辛くもあり、気が付かなかっただけかも知れない。)
(紀年銘が日付まで入っているにも関わらず、西国三十三ヶ所巡礼供養塔によくある、施主及び同行者等の記述がない
 こともと逆に特徴と言いえるのではないか。石の大きさからしても安いものでは無さそうである。)
(羽束山登山道入口の西横に建つ『ようこそ はつか山へ!』に「日羅上人がこの地で槻の木から彫り出した観音像を
 山上の観音堂に納め香下寺(こうげじ)の本堂とした」とあることから、案内の「本堂」は山上の観音堂とする。)
(四基の石造物中最も西に「三田市香下の道標1/3」、当道標、一つ飛び東端に「三田市香下の道標2/3」がある。
 少し離れて東10m辺りに「十二丁」丁石があり、山上「一丁」まで連続して残っています。)

写真kimg3658 写真kimg3656 写真kimg3654
【1.八王子神社長屋門を 【2.道標を北に望む 【3.道標を北に望む
 東に望む  一番目立つ当道標  南西面に梵字が3種
 左から2基目が当道標】  板碑型である】  他の面に文字無】

写真kimg3653 写真kimg3606 写真kimg3603
【4.道標南西面 【5.道標南西面中上部 【6.道標南西面右上部
 右端の上部に案内が  梵字を3字山型に  「右観音道…」
 ある、巡礼記念塔】  下に「奉巡…」】  「右」の上は疵とした】

写真kimg3609 写真kimg3607 写真kimg3604
【7.道標南西面左中部 【8.道標南西面中中部 【9.道標南西面右中部
 「正月…」  「奉順禮西國三…」  「道」の少し左下から
 とある】  「奉」異体字かも】  「安永九子…」】

写真kimg3610 写真kimg3608 写真kimg3605
【10.道標南西面左下部 【11.道標南西面中下部 【12.道標南西面右下部
 「…十八日」  「…西國三十三所」  「…永九子年」
 とある】  とした】  とした】

写真fimg7011
【13.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】

文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ