4.神戸市長田区大谷町1蓮池小の道標4

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神戸市長田区大谷町1−1−10 山陽電車西代駅北の蓮池小学校校門東部に北西を正面に四基が建つ
(西から、「1」「2」「3」、当道標が建つ)
尖頭型角柱 99x18x18p(頂高8p)
N34.662021 E135.143067


写真himg0819

写真himg0787

写真himg0789

写真himg0791

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│左 妙法寺毘沙門堂へ        │
│         十八丁      │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では長田区7)
(同書に「この道標の建っていた地点は、…古道の通じていたところでもある。」とするが具体的には記述は無い。
 又、四基の道標は「昭和37年長田中央幹線(県道21か)工事中辻の民家立退きにより出現し、その後路傍から校庭
 に移設」としているが元位置は書かれていない。同書に載る写真に当「道標4」の現南東面に接して「道標3」
 現北東面を密着させ、多分現県道21号の南側に現北西を南西面にして二基が立ち、前方には西代駅があると推定
 させる得る。出版時の撮影では無く民家に収容される前ではないかと思う。「道標3」で述べたようにその位置は
 現在地(校庭)から南東30m辺りとしたが、当道標では次のような問題が起こる。即ち、「妙法寺毘沙門」を今の
 須磨区妙法寺毘沙門山にある「毘沙門山妙法寺」とすると、蓮池小学校南西角から3.2km程と思われ、道標が案内
 する「十八丁」(2.0km)と誤差が大きすぎる。寺からのこの距離では須磨区養老町1丁目辺りにしか達しない。
 これは如何いたしたものか。
 一時期民家内に収容されていたとあるので、元々この近辺にあったものではない可能性が高く、何かの理由で民家
 に持って来られた後、民家立退き後の路傍に戻された時点で前書の写真が撮られたのではないかと想像する。理由
 は、隣接して「道標3」が置かれていたのに、当道標の南角に欠損が見られのは、単独で立っていた事を表し、
 旧西国街道を西から来て、此処で左折して妙法寺に向かうのは理にかなわない(もっと西で左折)の二点による。
  依って何処か遠くからの移設と考える。)

写真himg0817 写真himg0800 写真himg0823
【1.道標を南に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 後、旧西国街道  後、県道21号  下辺が南西面となる
 左端が当道標】  左長田、右須磨】  左端が当道標】

写真himg0784 写真himg0809 写真himg0788
【4.道標北西面拡大 【5.道標北西面上部 【6.南東(道標3と密着)面
 ある時期には  「左 妙法寺…」  左稜線が南角になる
 南西面していたか】  と読める】  当道標で最大の欠損】

写真himg0816 写真himg0810 写真himg1032
【7.道標を南に望む 【8.道標北西面下部 【9.蓮池小校門を西に望む
 左側二基が隣接  「…毘沙門堂へ」  道標四基はフェンスの北
 した写真がある】  右下「へ」とした】  上は県道21号の高架】

写真gimg6517
【10.神戸市中部の道標】
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