3.神戸市長田区大谷町1蓮池小の道標3

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神戸市長田区大谷町1−1−10 山陽電車西代駅北の蓮池小学校校門東部に北西を正面に四基が建つ
(西から、「1」「2」、当道標、「4」が建つ)
角柱 95x25x22p
N34.662016 E135.14306


写真himg0820

写真himg0776

写真himg0779

写真himg0781

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│従是勸音山 北二丁         │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 施                │
│   紀野太三郎          │
│ 主                │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では長田区6)
(Web長田区仏教会の「常福寺」に「常福寺(じょうふくじ)山号:観音山(かんのんざん)真言宗、元は西国街道
 に面した西代村内にありましたが、明治晩年に山陽電車の敷設工事に伴い、村墓域のあった現在の地に移転」とあ
 る。蓮池小学校南西角から北240mの現在の寺標がある入口を指すものであれば「北二丁」(220m)は妥当であり、
 元位置は小学校南西角と出来る。もし本堂までとするなら小学校西交差点から更に西170m辺りの山下町1−4−3
 辺りの辻であったかも知れない。)
(寺の移転が明治晩年とあるので、明治43年測図の地図を見ると該当地に寺は無く、大正12年測図には記載され
 るため、寺の移転は明治43年(1910)以降となり、道標設置もそれ以降となるでしょう。)
(『神戸の道標』に「昭和37年長田中央幹線(県道21か)工事中辻の民家立退きにより出現し、その後路傍から校庭
 に移設」としているが元位置は書かれていない。同書に載る写真に「当道標3」の現北東面に接して「道標4」
 現南東面を合わせて、多分現県道21号の南側に現北西を南東面にして二基立っている(後方に西代駅が見える)
 様に見える。出版時の撮影では無く民家に収容される前ではないかと思う。「道標1」からすると辻の反対側、
 即ち南東部に置かれていたとしたい。
 依って元位置は、現在置かれている位置から南東30m、山陽電鉄の南側道の
N34.661856 E135.143349
 現在は交差点中と思われる。但し、現北角の損傷が大きく、上記の写真の様に隣接して立てられておればこの部分
 が傷つくことは少なく、撮影時点で移設されていた可能性は大である。)

写真himg0817 写真himg0800 写真himg0823
【1.道標を南に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 後、旧西国街道  後、県道21号  後、旧西国街道
 右から三番目当道標】  左長田、右須磨】  右から三番目当道標】

写真himg0805 写真himg0782 写真himg0808
【4.道標北西面拡大 【5.道標北西面上部 【6.道標南東面拡大
 移設前には  「従是勸音山」の左  「施主」
 南東面していたか】  北角が欠けている】  「紀野太三郎」】

写真himg0816 写真himg0783 写真himg1039
【7.道標を南に望む 【8.道標北西面下部 【9.道標元位置辺りを
 左側二基が隣接  「北二丁」は  東に望む
 した写真がある】  約218m程度】  右の白い車辺りか】

写真gimg6517
【10.神戸市中部の道標】
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