1.神戸市長田区大谷町1蓮池小の道標1

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神戸市長田区大谷町1−1−10 山陽電車西代駅北の蓮池小学校校門東部に北西を正面に四基が建つ
(西から、当道標、「2」「3」「4」が建つ)
頭丸型角柱 168x39x38.5p(頂高9p)
N34.662004 E135.143041


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北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│従是大山寺道            │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では長田区5)
(同書に「前述の「革令紀行」に「西台付近にて右に溜池あり、自是太山寺といえる石表あり」とある道標はこれで
 あろう。」としている。私見も同じで詳細は下記参照。) 
(「大山寺」を「太山寺」と見なせば「明泉寺町2の道標」でも書いた西区伊川谷町前開224と同じ寺となり、こ
 の近辺からならば妙法寺への道と成ろう。明治の地図を見るとこの地点より妙法寺へは二本の道が見え、太い道な
 ら板宿に出て禅唱寺の西から妙法寺、近い道なら高取山の山裾を廻り禅唱寺から太い道に合流するとなり、この何
 れかの道を示していたものであろう。近い方の道が現在(2020)蓮池小学校の西を進む道であり、此方を指したと
 考える。小学校は元蓮池の埋立地(昭和11年以前)に建てられたようである。)
(「太山寺」は神戸市西区伊川谷町前開224にあり、同寺Hpでは、天台宗、三身山、藤原鎌足の子定恵和尚の開山、
 本堂(鎌倉時代)は国宝とある。
  国立公文書館のデジタルアーカイブ「天保国絵図播磨国」には、村名として「大山寺」があり、同「元禄国絵図」
 では寺名も「大山寺」と表記している。)
(国立国会図書館デジタルアーカイブ『蜀山人全集.巻1』吉川弘文館の『革令紀行』のコマ97に次のような記述
 があり、「左右に溜池あり、土橋をわたりて左に、前武州刺史智章墓といへる石ありしと従者の言うを、知らずし
 て見過しぬ、右に摂津国本宮長田大明神の石の鳥居あり、大門長くして本社を見ず、右に溜池あり、又自是大山道
 と言える石表あり、」としている。
 この内『前武州刺史智章墓』の墓は今の長田区五番町8の刈藻川東岸の石碑(今は道の右(北))とし、『長田神
 社の鳥居』が今の長田区大道通1丁目の県道から北へ分かれる参道筋の鳥居とし、『右の溜池』を埋め立て以前の
 蓮池として、現在置かれている小学校のすぐ西の辻に有ったものとすれば、位置関係等が全て整合する。
 革令記行の表記「自」と、道標の文面の「従」を除けば以下は完全に同じで『神戸の道標』の説もうなずける。
  見た目では古さはあまり感じられず建て直された可能性も考えられるが、それが無ければ蜀山人が紀行に残した
 文化元年八月十八日(1804年9月8日金曜日)以前の建立と言える。
  又、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号11にも、二分された「蓮の池」の
 西側の池の少し北に進んだ土手上の道に石碑らしいものが描かれ、名所名が無いところを見るとこの道標かも知れ
 ない。もしこれなら少し遡り出版年の寛政十年(1798年)以前の建立となる。
  更に『中国行程記』では三ツ辻北西部に石碑様のものが描かれ、この説明に「此棒杭ニ是より大山寺道ト有り」
 と書かれており「従是」が「是より」と異なるが、もしこの道標なら行程記の明和元年(1764年)以前ともなる。
 『中国行程記』は『絵図と歩く ひょうご西国街道』大国正美、神戸新聞、2018年発行より参照。)
(移設の経緯について『神戸の道標』では「昭和37年長田中央幹線(県道21か)工事中辻の民家立退きにより出現し、
 その後路傍から校庭に移設」としており、明治の地図から見ると南20m程の三ツ辻辺りからの移設と思える。
 『中国行程記』の絵から辻西部に現北西面を東面、或いは南東面させて建っていたとしたい。)
(よく似た道標が明石市魚住町金ケ崎1402の三ツ辻に西向きに建っておりこの表記は「左大山寺道」と「従是」
 と指す方向は違うがが「大山寺道」は同じで、大きさ150x30x32は少し小さいものの、頭丸型角柱と筆跡は実によく
 似ており同一人物の建てたものではないかと思える。)

写真himg0817 写真himg0800 写真himg0823
【1.道標を南に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 後、旧西国街道  後、県道21号  後、旧西国街道
 右端、当道標】  左長田、右須磨】  右端、当道標】

写真himg0822 写真himg0814 写真himg0796
【4.道標を南東に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標上部を南に望む
 「従是大山寺道」  「従是大山寺」  北角が少し欠けるが
 と読める】  と読める】  綺麗な仕上げである】

写真himg1026 写真iimg5365 写真himg1032
【7.長田区大道通1丁目の 【8.同作らしい 【9.蓮池小校門を西に望む
 長田宮参道口の鳥居を  明石金ヶ崎の道標の  校門西20m北西に旧道
 北に望む、宮まで560m】  北西面拡大】  左端を奥へ県道22号】

写真gimg6517 写真himg0910
【10.神戸市中部の道標】 【11.『絵図と歩く
 
 中国行程記』の
 
 三ツ辻左の棒杭】

【参考】
明石市魚住町金ケ崎1402の道標 西国街道から東に分岐する三ツ辻東部に建つ
頭丸型角柱 135x31x32p(頂高5p)、上記の道標に比べやや小さい。
N34.6939891 E134.925304


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写真iimg5358

写真iimg5360

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北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│左 大山寺道            │
└――――――――――――――――――┘

その他面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

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